昨日に引き続き、今日もちびまる子ちゃんについて。
今日は同じ『こども小説 ちびまる子ちゃん①』(集英社みらい文庫)所収の「「商店街の七夕祭り」の巻」。
まる子ちゃんが父ヒロシと一緒に七夕祭りに行き、色々なものを買ってもらう、という、それだけの話である。買ってもらった飴細工を枕元に置いておいたら溶けてしまった、というオチはあるが、この話の魅力はそこではない。お祭のワクワク感が、この作品の魅力である。小説版なので絵はないが、それでも祭りのはなやかな浮かれた感じが伝わってくるのは、原作のさくらももこさんとノベライズした五十嵐佳子さんの腕であろう。
子どもたちは、この小説をまる子目線で読むであろう。お父さんと一緒にお祭りに行って、あれこれと買ってもらったことを思い出したり、次にお祭りに行ったときには何を買ってもらおうか考えたり、それだけで楽しい読み物である。読書の楽しさを存分に味わえる。
わたしは、どうしても父ヒロシの立場で読んでしまう。祭りに連れて行ってとせがむまる子に、「七夕なんて行ってどうすんだよ。」と文句を言いながらも、娘と一緒にでかけるのが楽しくてしょうがないヒロシ。わたしである。
七夕の飾りつけを見てあれこれ言いながら歩くまる子とヒロシ。まる子は、お面、水中花、風船、飴細工、と、次々とおねだりをし、文句を言いながらも買ってやるヒロシ。
子どもがお祭りで欲しがるものは、いらないものばかりである。父は、子どもの喜ぶ顔見たさに買ってしまう。うちの娘が小さい頃は、宝石すくい、かき氷、わた飴、きゅうりの1本漬け、などであった。志木のお祭りでは、毎年カブトムシを買っていた。駿府城のお祭りで買った毒々しい緑色の水飴は、二口食べてイヤになっていた。チョコバナナは、中学生になった今でも買わずにいられない。浅草で飴細工を感心して見たことを、ちびまる子ちゃんを読んで思い出した。
子どものころに読んで面白かったものも、大人になって読み返すとそれほどでもない、ということはよくある。今は、ドラえもんにはそれほど憧れない。
『ちびまる子ちゃん』は、昨日書いたウソの話もそうであるが、大人の目で読むと子どもとは違った味わいが感じられる。ただのノスタルジーではないと思う。
『源氏物語』も、大学生のときと、家庭や仕事を持った今とでは、随分読み方が変わった。
『ふたりのロッテ』や『白旗の少女』など、親目線で読んでいる今の方が、深い読みができている気がする。
歳を重ねて、若い頃と違う味わいが感じられるのは、すぐれた作品なのだと思う。
子どもたちにも、大人になってから、この作品にはこんな味わいがあったのだ、と気づいてもらえるような作品を、たくさん読ませてあげたい。