運命の「歩」 ――八王子将棋クラブの誕生(朝日新聞から)―― | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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 羽生善治9段藤井聡太5冠に挑戦している、王将戦の第1戦、藤井5冠が勝利しました。

 羽生9段は一度も優位に立つことがなく、完敗でした。

 40年ほど前に天才棋士の出現に胸を躍らせた羽生世代のわたしとしては、第2局以降の巻き返しに期待したいところです。

 羽生伝説はまだ終わっていないと信じています。

 

 1月7日(土)の朝日新聞夕刊1面に、羽生善治9段に関する面白い記事が載っていました。

 羽生9段が小学2年生のときから通い、腕を磨いた八王子将棋クラブの始まりの話です。

 

 将棋好きの電気工事士八木下征男さん(33歳)は、自分の道場を開くことを計画しながら、実行に踏み切れないでいた。1976年12月24日の仕事の移動中、足元に小さな木片を見つけた。「歩兵」の駒であった。この拾い物を天啓と受け取った八木下さんは、八王子将棋クラブを開いた。2年後に小さな少年がやってきた。まっすぐな瞳の、初心者の少年に15級の認定書を渡すと、少年は毎週通うようになり、めきめきと上達した。八木下さんは、この子はきっと棋士になる、と思った。その少年が、史上3人目の中学生棋士になり、19歳で最年少タイトルを獲得し、のちに7冠制覇を成し遂げる、羽生善治であった。2018年の八王子将棋クラブの閉所の日まで41年間、あの「歩兵」はお守りとして受付のレジ台の中にあった。

 

 もしあのとき、八木下さんの足元に「歩兵」の駒が落ちていなかったら、八王子将棋クラブは開かれなかった。そして、羽生善治も将棋の世界に足を踏み入れていなかったかもしれない。

 道に落ちていた1枚の「歩兵」が将棋界の歴史を動かした、という話です。

 運命、ということを考えずにはいられない話です。しかし、その運命を引き寄せたのは、八木下征男さんの思いにほかなりません。

 足元に古びた将棋の駒が落ちていても、大抵の人は拾わないでしょう。もし拾ったとしても、それを天からの啓示だとは受け取るまい。

 八木下さんが「歩兵」を拾い上げ、「道場を開け」という天啓だと受け取ったのは、八木下さんに将棋道場にかける強い思いがあったからだと思われます。

 羽生善治少年の才能を見出し、プロ棋士に育て上げたのも、八木下さんの力です。

 偶然や天啓は、それを受け取る資格のある人のもとが受け取るようです。

 

 わたしも、ことのは学舎将棋道場を開いています。

 将棋が好きで、将棋はことのは学舎が目指す、考える力伝える力を育てる、という理念にも合っていると考えたのです。

 生徒たちは、切磋琢磨して確実に力をつけています。

 わたしは何の天啓も受けていませんが、この道場から、第2の羽生善治第2の藤井聡太が誕生するの見届けようと思っています。

 町の小さな将棋道場に大きな夢がある。そう思わせてくれる八王子将棋クラブの誕生秘話でした。