ちょっと更新の間が空いてしまいました。
14連勤で夏バテてました。いや、2週間休みなしとかってよくあることなので、それはあまり気にならないのですが、前半の一週間が冷房のない屋内(気温は1日中31℃)で消耗したのよね…。暑いのは苦手です。廃道探索も藪がもさもさでできないし、早く秋にならないかしら。
そんなこんなで群馬県道266号上発知材木町線前編の続きです。
ヨッキれんが入っていった
この穴ですが、おそらく排水の穴。
私は通り過ぎ、
ここで右へ。
ちゃんと道ありました。うほほい。
けっこう幅広い。
さて、すぐに隧道さまが出てくるはず、、、
おっ
おーのー。こっちも完全に倉庫!
あいやー。南側よりも倉庫感が強い。
それにしても、クイックカーブね。道路の幅が広くてもこれはあぶないね、新道がつくられたのも納得。
めっちゃ塞いでるなぁ。
さっきの排水の穴からやっと出てきたヨッキれん、こちらの穴にも入れないか確認中。
無理ぜよ。
扁額が残されているのは嬉しい。
写真も撮ったし、戻ろうかと振り返る(北を向く)。東側は木々で分かりにくいけど、けっこう落ち込んでいる。そして西側はほぼ自然に還った擁壁、十数m向こう側には新道がある。
ん?なんか擁壁に踏み跡あるなぁ。
登っていくと…あれは、石碑?
おっと、ヨッキれんが光の速さで登っていった!!
あんなところに石碑ってなんなのー?私も踏み跡を登る。多少は階段状に刻みが入っているけど、苔と落ち葉でカモフラージュされていて、こんな趣味でなければ気づかないようなさりげない踏み跡。
アヤシイ(良い意味で)匂いがプンプンするよ!
きーたー!
これは素晴らしい。
石碑には「六十六部万人勧進三尺開発 宝暦十一年」とあった。
宝暦十一年は1761年。その頃に六十六部講が寄付によって三尺の幅の道を開鑿したということだろう。なんて素敵な記録なの!そしてその三尺の道っていうのは
きっとこれ!
さらに切通の真ん中の木の影には、灯篭の一部と石像が。
…ちょっと、ツッコミをいれたい。この二つの位置、邪魔じゃない?廃道になってから移されてきたのかしら…不思議。
さて石像、てっきり道祖神かなーと近づいてみたら
違った。これは・・・鬼子母神?私はあまり詳しくないので、もしかしたら間違っているかもですが、たぶんきっと。
うまく読めないけど、子安 大菩薩ってあるからやっぱり鬼子母神のようね。
切通の先は現在の県道。
私のジムニーも見える。
ああ、こんなところに250年も昔に開鑿された道があったなんて。いままで全然しらなかった。
明治43年に隧道ができるまではこの切通しを利用していたのかな。きっとそうよね。
ほんの20分の短い廃道探索。でも250年の時空を超える旅でもあったわ。だから廃道はやめられない。
そしてグンマー、こんな歴史ある道をほっておくなんて恐ろしい子!
やっぱりグンマ大好き。