『 岩戸開き 』
いわとびらき
という言葉を独自解釈してみました。
結論を先に言うと、
『岩戸開き』とは、
「真逆な自分との統合」
それではスタート!
⭐️⭐️⭐️ 😄 ⭐️⭐️⭐️
『 岩戸開き 』
いわとびらき
この漢字を変えてみると
↓↓
『 違和図開き 』
いわとびらき
意味としては、
(相違を受け入れ和すこと)
違いを受け入れると意図することで開かれる
これ↑がどういう事なのか、
マザーテレサさんのエピソードが参考になります。
~私たち人類がめざすもの~
最期の一週間、死を予感したマザー・テレサは、「そろそろ私も神に召されるわ。イエスさまが迎えに来てくださるかしら」と思いました。
その彼女がいよいよ最後を迎えるというとき、イエスが来るかもしれないと期待していたところ、現れたのは悪魔でした。
それで彼女はヴァチカンに悪魔祓いを依頼し、実際にそれは執り行われましたが、悪魔は立ち去りませんでした。
マザー・テレサは落胆し、落ちるところまで落ちたそのとき、ふっと悟りがやってきます。
「私は、どんな病気にかかった人であろうが、どんな状態の人であろうが、無条件に受け入れた。
たとえ患部から膿が出ていようが、接吻して、看取ってきた。そうか、私が最後にハグしなければならないのは、悪魔かもしれない」
そうして、マザー・テレサは悪魔とハグをしました。
悪魔は消えました。
そのあとにやってきたのは、本当の悟りでした。
「悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね」
誰から見ても清く生き、権力やお金を忌み嫌っていたという彼女は、権力からの寄付を「そんなものは汚い」と受け取りを拒否したといいます。
それはやはり裁く自分がいたからです。
清く生きるということのなかに、どこかに否定する自分がいたのです。
だから最期に反対側の自分がちゃんとやってきました。
それが自分には悪魔に見えたけれど、ハグすることができて、本当の統合が起こりました。そうして亡くなっていきました。
本当のヒーリングは、自らの気づきによって起こります。
大事なものは私たちの中にあり、そこに触れていくことで、静かな革命が起こせます。そうやって時代は開けていくのではないでしょうか。
(『時空を超えて生きる』Kan.著 より引用)
ここ大切↓↓(引用より)
「悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね」
マザーテレサさんは、
”いよいよ最後を迎える”という時に、
真逆の自分を見せられています。
『岩戸開き神話』では、
アマテラスには鏡が向けられました。
鏡に映った姿は鏡像で、
真逆の自分だったのかも。
岩戸の中のアマテラスが、
美しい輝く女神さまであったのなら、
鏡に映った姿とは、
それは真逆の、
野獣のような姿が現れたのかもしれません。
『美女と野獣』みたいに。😅
素晴らしいものがたり
真実は ただひとつ
優しさが開いてく
愛のとびら
(『美女野獣』の歌詞から抜粋引用)
『美女と野獣』は、
男女の物語として表現されていますが、
これって、
人間の二面性や多面性の例えでもあると思います。
いろんな側面があるんだ!
と、認め、受け入れ、
お互いにいろんな表現をしながら生きていく、
それが、
(相違を受け入れ和すこと)
『 違和図開き 』
II
「真逆な自分との統合」
II
愛の扉を開く
ということになるのではないでしょうか。
『岩戸開き』という神話は、
内面世界のストーリーなのだと思います。
アマテラスとは、
個人の内面に閉じ込めている、
人との調和や、
世界の平和を喜びとする、
愛の思い、
なのだと思います。
⇩⇩引用載せときます⇩⇩
あなたこそが、あなたが望む世界となれ
(マハトマ・ガンディーさんの言葉より引用)
僕を変えられるのは、僕だけだ。
だから、僕は内側から。
(明治R-1のCMから引用)
今日の記事は↓2021年10月の記事↓のリメイク版です。
それではまた!😄












