『 法隆寺 』南大門から入ったところです。
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(2026.04.21撮影)
中門が近づいてきます。
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『 広隆寺 』五重塔と中門
今回メインにお伝えしたいのはここ
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『 聖霊院 』
聖霊院
聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。内部には三つの厨子があり、中央の厨子にはご本尊の聖徳太子の尊像、向って左の厨子には太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、右の厨子には太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ、毎年3月22日のお会式(御命日法要)の時に扉が開かれます。
聖霊院の内陣、奥の唐破風(からはふ)を付けた見事な厨子には、摂政像あるいは勝鬘経講讃像と言われる聖徳太子像が安置されています。笏を両手で持ち、豪華な冠を付ける正装のお姿です。
(法隆寺HPから引用)
ご本尊の聖徳太子の尊像・・・毎年3月22日のお会式(御命日法要)の時に扉が開かれます。
ということなので、機会があれば実際見てみたいです。
綺麗な画像見つけたので載せておきたいと思います。
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以下『東京国立博物館・1089ブログ』から引用

『 聖徳太子坐像 』
・・・注目したいのは口元です。彫刻の参考となった図像を伝える「聖徳太子像(水鏡御影)」では口を閉じていますが、このお像はわずかに口を開いています。これは聖徳太子が仏の教えを述べているところを表しているのですが、何故そう言えるのかというと、体内に仕掛けがあるのです。
この像の体内には飛鳥時代に作られた観音菩薩立像が納められており、その頭の位置がちょうど太子の口元にくるように工夫されています。つまり聖徳太子が観音菩薩の化身として仏法を説かれているという姿なのです。
この像の体内にはまた「法華経」(ほけきょう)、「維摩経」(ゆいまきょう)、「勝鬘経」(しょうまんぎょう)という特に太子が重視したお経が納められており、まさにその教えを説いていることを示しているのでしょう。これに関してもう一つ面白いのが、ジャラジャラと飾りが垂れた冕冠(べんかん)というものを太子が被っている点です。「聖徳太子像(水鏡御影)」にはなかった冕冠ですが、これは太子が「勝鬘経」という女性を主人公としたお経を解説する姿を表わした「聖徳太子勝鬘経講讃図」(しょうとくたいししょうまんぎょうこうさんず)に必ず表わされているものなのです。

『 如意輪観音菩薩半跏像 』
このお像、実は聖徳太子の「ほんとうの姿」として信仰されてきました。聖徳太子は少なくとも平安時代には観音菩薩の化身(けしん)」・生まれ変わりとして信仰されるようになり、特に大阪・四天王寺の本尊がその観音菩薩であるとされました。四天王寺の本尊は救世観音(ぐぜかんのん)や如意輪観音と呼ばれ、太子信仰の中心に位置しましたが、中世なって失われ、いまは昭和の再興像が安置されています。
法隆寺の「如意輪観音菩薩半跏像」はまさにこの四天王寺本尊を平安時代に写し取ったものであり、現存最古の模刻像として重要な作品です。聖徳太子は観音菩薩の化身である。そうした信仰上のイメージが太子信仰の基本としてあります。
以上『東京国立博物館・1089ブログ』から引用しました。
🙏
法隆寺とのご縁に感謝いたします!
それではまた!😁