8月29日に観測されたこの空の映像がスゴいです!

 

青空と白い雲が、

まるで定規で線を引いたようにくっきりと分かれて見えます

(⇩このニュースより引用⇩)

 

 

(⇩ウェザーニュースより画像お借りしました⇩)

 

 

 

 

 

この事象の意味を、

私なりに想像してみました。😄

 

”生活空間が分かれるよ”

どんな空間で生きるかは、それぞれあなた次第!

平和な想念は平和な空間を生き、

破壊的な想念は破壊的な空間を生きる。

 

分かれるとは言っても、

別な場所に移動するってことじゃなくて、

同じ場所で同じ空間に居ながら、

空間が変化するってことです。

 

空間って一つの同じ空間があるのではなくて、

レベルの違う空間が重なっているんだと思う。

 

そして今がその選択の時で、

それぞれの選択に相応しい生活空間となっていく。

 

誰かが導いてくれるのではなくて、

その人の内部空間(思念)の同調によって決まる。

だから自分次第。

 

いくつか参考文献を載せます。

 

 

これまでの人生に何があったとしても、

今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。

自分の人生を決めるのは、

「いま、ここ」に生きるあなたなのだ。

 

(『嫌われる勇気』自己啓発の源流「アドラー」の教え、より引用)

 

 

 

あなたこそが、あなたが望む世界となれ

 

(マハトマ・ガンディーさんの言葉より引用)

 

 

 

僕を変えられるのは、僕だけだ。

だから、僕は内側から。

 

(明治R-1のCMから引用)

 

 

信念が変われば、思考も変わる

 

思考が変われば、言葉も変わる

 

言葉が変われば、行動も変わる

 

行動が変われば、習慣も変わる

 

習慣が変われば、人格も変わる

 

人格が変われば、運命も変わる

 

(マハトマ・ガンディーの名言)

 

 

 

精神世界のいろんな書籍を読んだり、人物にもお会いしてきて思うことは、

やはり、要は自分なんですよ。良い意味での自己中。

自分がどう感じて、どう思い、どうしたいのか、何がしたいのか、なんです。

それは自分にしか分からないこと。

 

映画『マトリックス』に出てきた、

『汝自身を知れ』という言葉は誰にでも当てはまります。

 

そして、救世主とは・・・「汝自身の思い」なのかも知れません。

 
(このブログの「プロフィール」から引用)😄
 

 

 

対策としては、

 

自身の思念を整えることだと思います。

それは自分にしか出来ないこと。

 

ゆえに、救世主とは自身の思念。

思念が、

主。

 

弥勒菩薩』が『考える人』のような『思惟像』なのも頷けます。

救世主とは、

自身の『慈しみの思惟だよ!って事だと。

 

弥勒菩薩

 

 

 

⇩最後にこの歌詞⇩

 

自分の人生の中では 誰もがみな主人公

私の人生の中では 私が主人公

 

(さだまさし『主人公』の歌詞より編集して引用)

 

 

 

 

それではまた!😄

 

 

ベランダのサボテンを、上から見た画像です。

十一芒星なんですよ〜😄

⇩ ⇩

image

 

高さ10㎝くらいのミニサボテンでしたが、

今は30㎝くらいと大きくなりました。

 

 

サボテンが微笑んでるような感じがして、

画像をアレンジしてみました。

⇩ ⇩

image

タイトル

十一面サボテン

 

😄

 

 

今回はここからがメイン。

仏像の『十一面観音』は頭上には11の顔があります。

 

室生寺『十一面観音立像』

(『八十八面観音巡礼』HPから画像お借りしました)

 

 

(『ホトカミ』HPから画像お借りしました)

 

(『近長谷寺』HPから画像お借りしました)

 

仏面1面:悟りの表情。

菩薩面3面:穏やかな慈悲の表情。

瞋怒面3面(しんぬめん):眉を吊り上げ、口を「へ」の字に結び邪悪な人を戒めて仏道へと向かわせる怒りの表情。

狗牙上出面3面(くげじょうしゅつめん):結んだ唇の間から、牙(きば)を現し行いの清らかな人を励まして、仏道を勧める讃嘆の表情。

大笑面1面(だいしょうめん):悪にまみれた人の悪行を笑い滅する表情。

 

 

背面が『大笑面』になってる所が面白い。

 

『 大笑面 

(『渡岸寺』HPから画像お借りしました)

 
😄

大笑面

 

 

そして、

正面(前面)の『化仏』を含めると12面の顔になります。

 

 

十一面観音は十二面観音でもある!

 

 

例えば時計ですが、

1〜12の12数表示で『12時は0時=24時』でもあります。

『0時』は表示なし、見えない。

12時は『始まりでもあり、日中でもあり、終わりでもある』。

 

 

十一面観音』の化仏』、ここが一番大切なのかも。

化仏』は恩寵によっていろんな表情に変化します。

 

 

私たち人間も、潜在的にいろんな顔を持っていて、

思いのままに変化することが出来ます。

 

その表現をしている所が『化仏』に相当する自分の顔です。

その顔は仏顔や憤怒の顔、慈顔などに変化します。

まさに『化仏』!

どんな顔で生きるかはその人の意図次第。

 

結局、

神仏の特性は、人間の特性でもあるのだと思います。

 

 

この言葉を思い出しました。

 

『 喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びに来る 』

 

「喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び集めて 喜びに来る」

同じ言いまわしで、

「悲しめば 悲しみごとが 悲しんで 悲しみ集めて 悲しみに来る」

とも読めたり、

「施せば 施しごとが 施され 施し集めて 施しに来る」

と読めることもあるのです。

身から出たサビではありませんが、

地獄にするのも極楽にするのもあなた次第です。

 

『洞雲寺』HP法話から引用)

 

 

 

この曲一緒に載せておきたいと思います。

城 南海(きずき みなみ)さんが歌う、

映画『ムーラン』の主題歌『Reflection』です。​​​​

 

(歌詞より編集して引用しました)

 

私は私を生きるわ

輝くのよ自分らしく

私を生きる いつの日か

扉は開く いつの日か

 

 

 

image

 

 

それではまた!😄

 

 

 

1993年に公開された映画『リトル・ブッダ』では、

釈迦が悟りを成就した『 降魔成道 』の場面があります。

  (ごうまじょうどう)

 

『 降魔成道 とは、

釈迦が悪魔の誘惑や妨害を退けて悟り(成道)を開いた出来事を指す仏教用語です。

 

 

この場面を私なりに解説すると、

人は内面に、

信仰する神的な存在を創造し保持しようとします。

また逆に、

自身を神に仕立て人の心の中に住まおうとします。

しかしそれはどちらもエゴである、

と見抜くことが大切であると教えてくれているのだと思います。

 

 

動画よりその一部分を抜粋します。

(7:30あたりからの会話)

(マーラ😈)

悟りの境地を求める者よ、

私の神になってくれ

 

 

(シッダールタ👨)

家を造る者、やっと会うことが叶った

汝は二度と家を建ててはならぬ

 

 

(マーラ😈)

我こそは汝の家だ。汝は我の中に住む

 

 

(シッダールタ👨)

汝は私の自我だ

 夢、まぼろしであり実体はない。

 この大地があかしを見せるだろう

 

 

 

そして釈迦は手で地面を指し、

降魔印』(別名 触地印(そくちいん))を示します。

 

(ブログ『旅樂道』から引用)

マーラの最後の問いかけに対しシッダールタは静かに右手を下ろし大地に触れました。これが「触地印(そくちいん)」別名「降魔印(ごうまいん)」と呼ばれる姿です。

「大地よ、私の証人となれ」

その瞬間、大地が震え、地の女神プリティヴィーが現れてシッダールタの無数の善行を証言しました。マーラは敗北を認め、軍勢とともに消え去ります。そしてその夜明け、シッダールタは完全な悟りを開き、「ブッダ(目覚めた者)」となりました。

 

地の女神プリティヴィー

プリティヴィーは、インド神話の古き地母神。

(Wikipediaより引用)

 

(ブログ『合掌GASSHO』触地印を解説から引用)

触地印は、特別な知識がないと理解できない暗号ではありません。右手が大地へ向かう、その単純さの中に「反応から離れて、今ここに戻る」という実用的な方向性が込められています。仏像の前でも、忙しい日常でも、触地印の意味は同じように働きます。足元の確かさに触れ直すとき、像はただのポーズではなく、静かな指針として立ち上がります。

 

 

 

Wikipediaによると、

ヒンズー教の愛の神『カーマ』の別名が『マーラ』です。

 

すなわち、

愛の神魔王は同一神であり一つです。

一つの愛の神

 

(ブログ『旅樂道』から引用)

マーラは外的な存在であると同時に、人間の内なる心の働きでもあります。誘惑や恐怖、疑念として外から襲いかかるように見えて、実はその源は自分自身の心にある。

この二重性こそが、マーラという概念の核心です。

 

☝️

ここ、めちゃ重要です。

 

 

そして、この絵画⇩⇩素晴らしい〜!

内なる静寂 ― マーラを超えた心の境地を表す

(ブログ『旅樂道』から引用)

↑ ↑

水に映った姿も仏になってますね!

 

私も真似して作ってみました。

 

 

(笑)

 

 

映画でのマーラは水の中から現れます。

マーラは水鏡に映ったシッダールタ鏡像ということなのかも。

 

 

マザーテレサさんのエピソードを思い出しました。

『 降魔成道 』のような話です。

⇩ ⇩

(Kan.著『時空を超えて生きる』より引用)

 

~私たち人類がめざすもの~

 

最期の一週間、死を予感したマザー・テレサは、「そろそろ私も神に召されるわ。イエスさまが迎えに来てくださるかしら」と思いました。

その彼女がいよいよ最後を迎えるというとき、イエスが来るかもしれないと期待していたところ、現れたのは悪魔でした。

 

それで彼女はヴァチカンに悪魔祓いを依頼し、実際にそれは執り行われましたが、悪魔は立ち去りませんでした。マザー・テレサは落胆し落ちるところまで落ちたそのとき、ふっと悟りがやってきます。

「私は、どんな病気にかかった人であろうが、どんな状態の人であろうが、無条件に受け入れた。たとえ患部から膿が出ていようが、接吻して、看取ってきた。そうか、私が最後にハグしなければならないのは、悪魔かもしれない」

 

そうして、マザー・テレサは悪魔とハグをしました。

悪魔は消えました。

そのあとにやってきたのは、本当の悟りでした。

 

「悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね」

 

誰から見ても清く生き、権力やお金を忌み嫌っていたという彼女は、権力からの寄付を「そんなものは汚い」と受け取りを拒否したといいます。

それはやはり裁く自分がいたからです。

清く生きるということのなかに、どこかに否定する自分がいたのです。

 

だから最期に反対側の自分がちゃんとやってきました。

それが自分には悪魔に見えたけれど、ハグすることができて、本当の統合が起こりました。そうして亡くなっていきました。

 

本当のヒーリングは、自らの気づきによって起こります。

大事なものは私たちの中にあり、そこに触れていくことで、静かな革命が起こせます。そうやって時代は開けていくのではないでしょうか。

 

 

(⇩上記より抜粋⇩)

悪魔だと思っていたけれど、やってきたのは真逆の自分だったのね

 

シッダールタもそうでしたが、

成道に至る直前には、

試練や悪魔のような真逆の自分が登場するようです。

ピンチでもありチャンスでもあります。

 

 

(ブログ『旅樂道』から引用) 

 マーラを知り、自分を知る

マーラは倒すべき敵ではなく、認識すべき存在です。その正体は外にある悪魔ではなく、私たち自身の心に潜む欲望、恐怖、疑念。それを知ることが、乗り越える第一歩となります。

釈迦がマーラに勝利した方法はシンプルでした。戦うのではなく、ただ「お前を知っている」と認識しただけ。2500年前のこの智慧は、現代の私たちにも有効です。
 

 

それではまた!😄