転・脳梗塞の入院がきっかけで夢を手放す | 柿本人麻呂が好きすぎて島根移住~地縁を詠む散歩俳人~

柿本人麻呂が好きすぎて島根移住~地縁を詠む散歩俳人~

地縁の人をつなげるインタビュアー・散歩俳人。言霊の和歌を詠む柿本人麻呂が好きで、島根へ移住。お散歩しながら、素敵な人や店、風景を紹介する俳句を詠んで地域と人をつなげます。

今では安心して夢を生きている私ですが、強くなる以前の私に起こった物語を、4つの起承転結でつづります。


起・アラサーから立て続けに四つの死と向き合う

承・自分を見失ったままの円満離婚

 

転・脳梗塞の入院がきっかけで夢を手放す (いまここ)

離婚してからの私は、振り返ることはありませんでした。好きな人と、好きな場所へ、好きなものだけの世界を追い求めたんです。

自由って、こんなに楽しいんだ

 


自由すぎて、興味があることを片っ端から試したりしました。
・シナリオセンターでシナリオライターを目指す
・台湾で出会い好きになった人の影響で、台湾華語を学ぶ
・陶芸を始める


中でも、陶芸の先生が所属していた、俳句会との出会いは大きいものでした。
元コピーライターといった素敵なシニアが集まる、大人の「言葉」の世界。

 

私の俳句に対する固定概念を覆す出会いでした。
 

数年はあれこれ手を出していたんですけど、

 

やっぱりワクワクする「クラフトビール」の仕事を本格的にやりたいと思って、レストランでクラフトビールと料理のマリアージュのイベントを企画して開催したり、ビール専門のライターで取材記事を書くことをスタートさせたんです。

生ビール大きな夢もありました。私のクラフトビール醸造所を造って、オリジナルのビールを出すビアバーを開くこと。

 

ライターとイベンターだけでは収入が不安定でしたので、他の仕事もしながらの生活を、3、4年続けていたと思います。

波
運命の日は突然訪れました。

その日は、私が憧れていた、アメリカの「ブルックリンラガー」というビールを生み出したカリスマ醸造士がイベントで来日するという日でした。

私は夢のような気持ちで取材をして、家に帰ってから一斉に記事を書きました。

明日下書きを見直して出せばいい・・・と就寝したんです。

もやもや翌朝、違和感。

もやもや口の周りが変。

「あいうえお」と言ってみたけど、何かいつもと違う。

手足はしびれもないけど、病院へタクシーへ行ったら、即入院。

脳梗塞(のうこうそく)でした。

はじめはそんなに症状が出ていなかったけど、入院してから顔の左側が下がってきたから、早くて幸いでした。

1か月の入院の間、リハビリで活舌の訓練をしたことで、入院前より活舌が良くなっていました(笑)。

妹や叔母たちに入院中は助けられましたし、心配もかけたし、感謝でいっぱい。

 

自分に対しては・・・。

私さぁ、こんなになるまで何やってんの?

今までの生活をリセットして、
身体を大切にしよう。


退院してからすぐに、叔母の家にお世話になろうと決めて、引っ越し準備を始めました。

はじめて東京から出る体験でしたけど、迷いはありませんでした。


農業ライターや珈琲ライターを目指してみようと思ったけど、同じことを繰り返している気がして、ワクワクを感じない。
 

もう一つは、俳句を再開したこと。

知らない土地なので、ぶらぶら散策しては、素敵と感じた場所や店を紹介とともに一句詠むブログを自然に書き始めました。

 

乙女のトキメキ

はじめは、縁のない土地を知りたいと思い、

俳句を詠み始めたのですが、

この地に呼ばれてきたのかもしれないと、

地縁を感じるようになってきたのです。


結へ続きます右差し