本を購入するのは、やはり書店で買うのが好きだ。
いろんな本を眺めて「これは!」と手にとって選んでいくのが至福の時間である。
ごくまれに、そのたたずまい(タイトルとか装丁の雰囲気)に一目ぼれして即買いすることがあるのだが、最近まさにそうして買った本がこちら。
文にあたる(牟田都子著/亜紀書房)
「文にあたる」という言葉がなによりよいし、表紙のデザインもタイトルに見合ってとても凛々しい。
帯にある「人気校正者が、書物へのとまらない想い、言葉との向き合い方、仕事に取り組む姿勢についてーー思いのたけを綴った初めての本。」というコピーを含め、すべての見た目が好みなのでチラ見もせずに手に取ってレジに持っていった。
期待が高すぎるので本棚で少しの期間寝かせて(何の時間なのだろう?)からページを開いた。
校正者というまさに言葉や文章の専門家だけあって、一つひとつの言葉がよく揉まれた、スマートな文体が身体にすっと入ってくる。
校正・校閲という作業は自分もやった経験があって身近のようでありながら、プロとしての仕事のことは知らなかったので、いろいろな経験や考えがあってとても面白く、軽やかな文章を追うようにどんどん読み進められる本であった。
思った通り!
特に興味深いと思えたのは、校正の仕事は建設業と共通する点が多いことだった。
たとえば以下の文。
校正を入れることの意義は目に見えにくい。なぜならば何も問題がないといえるのが校正が十全に機能した結果だからです。校正を入れなかったことによってなんらかの問題が起こって対応を迫られたり、場合によっては回収や刷り直しという現実的な損害を被ることもあるかもしれない。でも、校正が機能しているときには何も起こりません。読者から「この本の校正は素晴らしかったです」という声が上がることもなければ、売り上げが伸びるわけでもない。何も起こらないことこそが目標であるところに、校正を評価する困難さがあるように思います。
日々地道に行られているのに何事かがトラブルが起こると一斉に非難されることが多い道路メンテナンス工事は、まさに「何も起こらないことこそが目標」であり、同じように意義が見えにくい存在である。
校正の作業で、誤った言葉を見つけて修正することを「拾う」と呼び、気づかないままで見逃してしまうことを「落とす」というそうだ。
どんなに注意しても「落とす」ことがゼロにはならない、というのは現場の安全管理に通じる。
落とそうと思って落としているわけではないのですが、本文でいえば見出しや章タイトル、カバーや帯なら書名、著者名など「こんなに字が大きくて、絶対に間違ってはいけないところにミスがあるはずがない」という箇所に限ってミスがあり、見逃されてしまうことは現実に起こります。
重大災害のきっかけとなりうる、ヒューマンエラーの1つの大きな側面である。
ありえないような凡ミスが原因で大きな災害が起こるのはまさにこんなパターンが多い。
校正の技術とは、突き詰めていくと思い込みや先入観をいかに排するかというところに収斂(しゅうれん)するのではないでしょうか。(中略)その「決まっている」「よりによって」「はずがない」が油断を招き、見落としを生む。
まさに工事現場における安全管理の心がけと同じだ。
本や雑誌が世の中に出る前に「内容の誤りを正し、不足な点を補ったりする」(『大辞林』)校正者の仕事と、まったくかけ離れたような建設業の仕事に共通点があったことで、より身近な気持ちで読ませていただき、大満足。
ずっと手元に置いておく本がまた一冊増えた。