地元・福島県福島市仲間町交差点で 国道4号 からを南東に進み、伊達郡川俣町を経て、双葉郡浪江町の知念寺交差点で 国道6号 に至るまでの 69.5 kmが、国道114号である。
以前は幅の狭い道路や急カーブが多く、車で通る際には結構覚悟を決めて走ったものだが、徐々に整備が進み、さらには東日本大震災と津波被害、原発事故で大きな被害を受けた浜通りの復興支援を目的に「ふくしま復興再生道路」としてさらに予算を投入して整備され、今年の3月には川俣町の整備がすべて完成したところだ(以下参照)。
先日走りながら改めて気づいたのだが、この国道及び国道沿いで、私、父、そして父方母方の2人の祖父がそれぞれトンネル工事に関わっているのである。
もっとも古いのが母方の祖父。昭和10年代初めに水力発電の導水路トンネルの建設に携わった。
以下に記載の通り、3年前に偶然祖父の名前の彫られた碑が発見され、間違いなくここで工事をしていたことが証明された。
古い記録を見ると赤い点線に水を流すためのトンネルがあって、こちらが母方祖父が携わった仕事だ。
真ん中を斜めに走るオレンジの線が国道114号なので平行している。この南東方向の阿武隈川の上流にダムがあり、その水流して発電所に落とし込むためのトンネルだ。
当時この工事のためにはるばる大分県から出稼ぎに来ている。名前が碑に名前が彫られていたので責任者だったことは間違いないだろう。
次に古いのはここから50キロ近く東に行った、仙人沢トンネルという道路トンネル。
昭和56年に竣工で、すでに当社・寿建設は設立15年ほど後で、父方の祖父が社長時代に工事を担当した。
以下が掘削開始時の安全祈願の写真で、2枚目の真ん中が祖父。両隣にいる2人もすでにこの世にいない。
その長男である私の父が社長時代に施工したのが、川俣トンネル。
1993年だから平成5年竣工である。私が会社に入る前のことだ。
そして私の代になり、平成30年に着工したのが泡吹地トンネル。
この工事の過程は山崎エリナさんに撮影していただき、写真集にまでなったの本当に貴重な経験だった。
また、祖父、父の代ではいわゆる「下請」として施工していたが、このトンネル工事は福島県から直接受注した「元請」工事であるので、少しは進化したといえる。
そしてそのトンネルを施工中に時代は令和と変わり、その手前の関場トンネルも当社が担当することになった。
このトンネルの貫通の瞬間をYoutube公開したところ大きな話題となり、全国ニュースなったのも思い出される。
そしてなによりも嬉しかったのが、県優良工事表彰の受賞。父も相当喜んでいたが、あの世の2人の祖父も驚いているに違いない。
ここまで書いて気づいたが、2人の祖父、父、そして私の3代で国道114号沿いにいろいろな形でトンエル工事に携わってきたが、昭和、平成、令和と3つの時代に施工したということにもなる。
同じ家系で3代、元号でも3代、同じ路線でトンネル工事を施工したというのは貴重なことではなかろうか。