アントニオ猪木さんが逝去された。
私も中学生の頃は毎週「ワールドプロレスリング」を楽しみにしていた少年だったが、猪木さんはずば抜けたスターだという認識を持っている。
当時、他にどのすごい選手たちが出てきても、頂点はやはりアントニオ猪木であった。
いろいろ追悼番組も製作されたようだが、私はNHKオンデマンドにて「クローズアップ現代」の特集を見た。
今まで知らなかったエピソードがいろいろ紹介される中、猪木さんの自伝の中で書かれていたこの言葉はショッキングに感じた。
ボクシングであれば大新聞が記事にする
しかしプロレスは絶対取り上げられない
どんなに人気があっても私たちは世間から蔑(さげす)まれているのだ
その自伝を全部読んだわけではないので詳しいことは分からないが、これほど明確な言葉なのでそのように感じていたのは間違いなかろう。
番組ではこの言葉を紹介した後、猪木さんがボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリによる異種格闘技戦を実現させた話を紹介していたので、そういう流れなのであろう。
「蔑まれる」の意味を調べると、
「蔑む」の受け身。相手から低く卑しい者として見られること。蔑視される。
とある。
当時のプロレスがそんなふうに認識されていたとはとても思えないが、この言葉を読む限り猪木さん自身はそのように受け止め、それを何とかするために「異種格闘技」という当時では奇想天外なアイデアを考え、「モハメド・アリ」というずば抜けた存在をその舞台に立たせたのである。
この言葉を読んだ時、私は建設業界のことを考えてしまった。
「蔑まれている」とは決して思わないが、大きな災害で大規模な対応などをしても同じように「大新聞には絶対取り上げられない」ことがよく問題視されるものの、なかなか現実は変わらないからである。
猪木さんのように「蔑まれているのだ」と思い込むところからスタートし、「コンチクショウ!」という気持ちで打開していくくらい気合を入れて対応すべきではないかと私は思ってしまったのだ。
課題を突破するには、それくらいの覚悟が必要なのかもしれない。