祖父の言葉 | 寿建設 社長ブログ

寿建設 社長ブログ

福島県福島市にある建設会社です。
会社や現場の取り組み、
日々の仕事や取り組みの中での
エピソードや思うことを綴ります。

当社では10数年前まで社内の安全壁新聞を発行して現場に配布し休憩所等に掲示していた。

過去の新聞はほとんどファイリングされて残っているのだが、先日思いついてそれらを整理していたところ、「創刊号」が目に入った。

1982年10月発行なので、実に40年前ということになる。

その創刊にあたり、創業者であり当時会長であった祖父の文章が掲載されていたので改めて読んでみた。

 

タイトルに

大きく育てよう!!寿の「大樹」を

とある。

以下主な内容を転載する。(読みやすくなるように改行、句読点などを加えた)

 

大倉土木(現大成建設)の一連業者として創業したのは、あの苦難の終戦まもない時でした。昭和三十二年森崎工務所名で知事登録を受け、専門の請負業者となりました。

昭和四十一年社名を寿建設株式会社と改め建設大臣の登録を受け一本の樹が根をおろしたのです。

「玉造り三年」これは林業者仲間で良く使われる言葉です。一本の木を植えてもなかなか上へは伸びず枝や葉は玉の様になり、ひたすら大地へしっかりした根を拡げ如何なる風雪にも耐え得る地盤を作っているからです。こうして三年を過ぎる頃一本の芯が出来、初めて枝葉を拡げるのです。

当社の玉造り時代は森崎工務所としての九年の長い辛抱の日日でした。ここに寿建設という一本の木はすくすくと伸び始め、豊かな経験と絶大なる信用を幹としてその枝葉を大地にしっかりと根を張って参りました。

私共は社訓を基として、職場を吾が命と思い工人の健康と安全を常に心して気持ちの良い楽しい職場作りに励み、社長始め一家総結集して寿建設株式会社と云う大樹を育てて行きたいと念ずるものであります。

 

祖父は12歳の時に実父を亡くし、残された祖母とともに弟と2人の妹を育て、戦争に行ったのち、さらにそこから「九年の長い辛抱の日日」を経て(以下リンク参照)、

ようやく「樹の根をおろした」のだと書いている。

当時65歳だった祖父は、父に社長を譲って軌道に乗り始めたところで、会社はようやく大地に根を張って枝が伸び始めたと感じていたのだ。

だとすれば、なんと苦労の多い、長い長い助走だったのであろう。

 

40年を経た現在、当社は祖父が願った大樹になっているとは言い難いと思う。

もちろん祖父の描いた大樹がどんな会社像であったかはこの文では分からないが。

 

それでも祖父が書いた会社に対する思いの文章を改めて読めたことは、とても意義のあることであった。

単なる壁新聞かもしれないが、言葉を記録として残すことはとても大事なことだと実感した。