地元福島市は年末から何度となく積雪があって、毎朝の定時散歩の時間を自宅周りの除雪に充てることが多かった。
もう2年半ほど散歩を続けているが、こんなに歩けなかった月は初めてである。
先週末から少し落ち着いた天気となり、気温も少し上がって今週はどうにか安定するらしい。
ということで定時の暗い中、阿武隈川の土手を歩くのである。
スマートフォンで撮った写真は全部ぶれているが、こんな感じである。
「暗い」とはいっても結構灯りがある。とはいえ今の時期は戻ってくるまで空は一切明るくならない。
そんなことを考えながら歩いていると、30年前の経験を思い出した。
当時私は群馬県にある、電気もガスもない山小舎で暮らしていたのだ。
最寄りの集落から徒歩で10分くらい離れた山の中にあって、周りをカラ松が囲んでおり、電気がない上、林の中にあるので、夜は相当暗かった。
雲がかかって月も見えない夜などは漆黒の闇だったと思う。なにも光るものがない。
小舎の中で夜の灯りはかなり太い「ロウソク」であった。
当時はそのことに不便さをあまり感じていなかったように思う。
それにしても、と頭の中で疑問が沸き起こった。
数ヶ月に亘ったその山暮らしで、毎晩真っ暗闇の中で私はいったい何をしていたのだろうか。
本を読むといってもそんなたくさんの数あった訳ではない。時間はたくさんあったのですぐに読み切ってでしまっただろう。
週末になると頻繁に各地から友人が遊びに来て大量の酒を残していったので、お酒はたくさんあって飲んではいた。
今ならスマートフォンでいろいろ見れるだろうが、当然携帯電話もインターネットも存在していないし、電気すらないからテレビもない。火を焚きつけるように古新聞がたくさんあったのでそれを読んだ記憶は少しある。
そうすると基本的には、ただ酔いに身を任せながら悶々と何事かを考えていたとしか思えない。
どこともつながることのない暗闇の中、いったどんなことを考えていたものか。
30年前の自分のことを覚えていないのも情けないが、今あのような生活が出来るかといえばかなり厳しいのは間違いない。