日本におけるトンネル工事の歴史を調べると、明治以前は諸外国に比べて積極的にトンネルを建設していないことが分かる。
江戸時代の東海道の絵などを見ると立派な橋はたくさん登場するが、トンネルは見たことがない。(外国ではさかんに建設されている)
明治を境に鉄道を中心に意欲的にトンネルが建設されることになり、そこから日本のトンネル技術の歴史は本格的にスタートすると言ってよい。
もちろんゼロではない。ざっくり言えば、地域の存続に関わる水をひっぱってくるトンネルだとか、資源(鉱物)を掘るとか、生きていくためにどうしようもない状況でしか手を出していない印象がある。
これは、日本において山を神聖視し崇拝の対象とする山岳信仰(さんがくしんこう)があっため、山を掘るということに抵抗があったとされている。
先日「日本人にとって聖なるものは何か」
という本を読んで、改めてその感覚が理解出来た気がする。
日本は災害が多い国である。
今まさに国民誰もが実感しているが、予報技術、予報情報の入手が格段と進化し、台風が近づいてくる、大雪が降りそう、などといった情報は事前に分かる。しかしそうした情報がないはるか昔、突然の大雨、川の氾濫、雷、地震、大雪、火山の噴火、などいう現象は予想も出来ずに本当に恐ろしいことであったことと想像出来る。
そしてその発生の原因として、大自然のなんらかの意志があるように思えてならなかったに違いない。
その意志の宿る場所は、身近な山にあるとイメージすることは想像に難くない。
本を読みながら、そんな古代の感覚が具体的にインプットされた。
そう考えると、山の中を掘って通すなどという行為、なかなか決断出来ることではなかったろう。
この感覚が現在のトンネル工事にも根強く残っている。
掘削面である「切羽」に神が宿るとされ、掘削開始時に清める安全祈願は、まさにその象徴である。
(撮影=山崎エリナ)
他にもさまざまな慣習が残っている。
https://ameblo.jp/kotobuki5430511/entry-11271857780.html
土木工事も、そんな視点で考えるとまた興味深い。