今日は阪神淡路大震災から24年目の日。
私はあの日、震源地から直線で約100キロ離れた岡山県の西部にある町にいて、早朝の「ドガン!」という音が聞こえたような激しい縦揺れを経験した。
感覚的には8年前の東日本大震災の最初の揺れよりも大きかったと思う。
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https://ameblo.jp/kotobuki5430511/entry-12336458184.html
現在当社の現場を撮ってもらっている写真家の山崎エリナさんは、神戸の自宅で「自分の部屋で寝ていたら、私は今ここにいなかっただろうという悲惨な状態でした。」というほどの被災体験をし、その後
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『前を向いて生きていくしかない!命頂いたのだから悔いのない人生を生きなければ』と、カメラと少しの荷物を持って単身でフランスへ渡りました。
以前から腕に職を付けたい、表現者でありたい!という思いがあり、パリへ行くことを決心しました。
フランスでは写真家の人たちとの出会い、パリに着いてから毎日撮り続けた写真をフランスや世界で活躍している写真家や評論家の方に見て頂いたら、「エリナちゃんにしか撮れない写真がある。写真家になりなさい」と、助言を頂き、写真家として開眼する。
山崎さんは当社の現場を撮り始めて、震災後に目に見えるように復興していく街の姿の後ろに工事関係者がいたことをようやく実感したとおっしゃっていた。
そしてそのことに感謝しながら撮影して下さっているそうだ。
24年前の震災がなければ山崎さんは写真家になっていなかったかと思うと、不思議な縁を感じる。
阪神淡路大震災、そして2ケ月後に地下鉄サリン事件発生、そして迎えた4月に私は今の会社に入社した。
なのであと1年で四半世紀である。
さらに24年経つ頃、我が国は、そして建設業界はどうなっているのかおよそ想像がつかない。
その頃には私も後期高齢者目前の年齢だが、いったいどんな人生になっているであろう。