作家・柳美里さんが四半世紀前に主宰していた青春五月党の復活公演「静物画」を小高町に観に行ってきた。
https://ameblo.jp/kotobuki5430511/entry-12403640633.html
青春五月党は、いわゆる劇団ではないという。書いた戯曲に合う俳優を集めてくる、「劇団ユニット」なのだそうだ。
今回は柳さんが21歳の時に書いた戯曲を題材に、広野町にある福島県立ふたば未来学園演劇部の生徒たち個々の東日本大震災体験を聞いた基に、台詞に取り入れてリメイクした作品である。
↓↓柳美里さんによる言葉
会場に入る。
柳さんの自宅裏の倉庫を改造し作られた小劇場の空間はすでにぞくぞくするような「美しい」空間であった。
舞台背後に階段状に設けられた席から舞台を見る構造である。
席は全部で約80席。満員のお客さんと舞台が一体のような、まったくそうでないような不思議な気分になった。
劇は、この教室の中での生徒たちの会話で進行する。
高校生たちの演技は、いわゆる「学芸会」的な様子は微塵もなく、本人の言葉として発されながら物語は進んでいく。
だから違和感なく劇に入り込めたように思う。
事前に読んだ、スタッフの方のTwitterを思い出した。
昨日の最後の稽古、最後に柳美里さんがふたば未来学園の生徒たちに伝えた言葉。
演劇は、作者や演出家の想いを代弁するものではない。
役の中に自分を映して、自分自身として舞台に立ってください。
https://twitter.com/himawari63/status/1040376859719094274
生徒たちにどんな魔法をかけたのか、まさに自分自身として舞台で語り、動いている。
そして自分の思いを語りながら涙を流す生徒もいた。
音楽や照明もよかった。アクセントがはっきりしていて、生徒たちの感情を明快に浮き彫りにくれる。
なので冒頭から劇の流れ(劇流?)の中にザブンと身を任せ、そのまま最後まで一気に連れて行かれたような体験をさせてもらった。
全部で70分ということだが、体感時間は半分くらいである。それだけ入り込んでいた証拠だ。
意外なラストを含め、ストーリーだけを追っかければよく分からない部分もあるが、そういうことを表現した演劇ではないのだと思う。
誰がどうしてどうなったが重要ではなく、言葉、動き、光、音、観客席も含め、空間すべてを体感することに何かがあるのだろう。
それが全員に伝わったのか、万雷の拍手がなかなか終わらなかった。
ふと自分も魔法から解かれたような感覚になり、心の奥底に重い何かが残っているのが分かった。
普段演劇を観ることがない私にとって、今まで感じたことのない至極不思議な感覚を味わった。
文章が稚拙すぎて読み返しても全然その感覚を書けてないが、それはそれでいいのだ!
作・演出の柳美里さんが、事前の告知Twitterでこうつぶやかれていた。
芝居はね、映画と違って、跡形も残りません。千秋楽が終わったら、その世界は無くなる。その場所、その時間に居合わせなければ、体験できない。
https://twitter.com/yu_miri_0622/status/1038919503378182144
貴重な体験をさせてもらった。