隣の米沢市にはかつて上杉鷹山(ようざん)という名君がいて、厳しい財政事情を建て直した、というざっくりのしたこと以外は知らなかったのだが、信頼している知人に強く勧められて「小説 上杉鷹山」(童門冬二/集英社文庫)
という本を読んだ。
歴史知識が不足している私にも分かりやすくかつとても面白く、読むと止まらなくて困るほどだった。
当時の上杉家米沢藩の財務状況はまさに火の車で、究極のいわゆる「デフレスパイラル」で、関が原の戦い後に120万石から30万石に減石され、さらに申請不手際で15万石まで収入源が減ったにも関わらず、もともと異常に多かった家臣の数は減らさないまま藩政が行われていたようである。なにも生産しない武士の数が多いので、当然平民にしわ寄せがいく。さらに、「武士の格式」を重んじて何をやるにも派手にお金をかけるので、ますます赤字財政に・・・という具合。
簡単にいえば、売り上げ10分の1に減った会社が、本社の管理社員の数をそのままで会社運営をしていたわけだ。しかも見栄っぱりで、パーティや接待には派手にお金をかける。
そこに上杉鷹山が登場する。
驚いたのは、彼は養子なのだ。九州宮崎県の小さな大名から上杉家に養子に来たので、米沢の地理も人も何も知らない。
しかも藩主になった時が17歳!
大赤字の火の車でも何の手もつけていない会社に、高校卒業前の年齢の何の関係もない青年が養子として社長になったようなものだ。
彼の大胆な改革案を、昔からの古いとりまきは全面否定する。従来の慣習や常識から抜けきれないのだ。そしてさまざまな妨害もする。放火までする。それでも若い鷹山はキレたり投げやりにならず、将来へのビジョンをもってせっせと行動を積み、実績を上げていくのである。
これ以上はぜひ読んでいただきたいのだが、何にするにもやはり「認識」と「実践」だな、とあらためて思った。鷹山の大胆な案を「よそものの若造に何が出来る」「そんなのありえない」と直視しなければそのまま何も変わらなかったはずだが、「いや、どうせこのままでは苦しいままだ。信じてやってみよう」という認識と、そして実際に行動に移したことでいろんなことが変わっていくのである。
『なせばなる なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり』という鷹山の言葉が、本を全部読んでとても重く心に残った。
この本で知ったのだが、かつてアメリカの名大統領ジョン・F・ケネディは、日本人記者団から「あなたが日本で最も尊敬する政治家はだれですか」と聞かれた際に、「上杉鷹山」のだそうだ。
とても勉強になった!