アニメ「僕の心のヤバイやつ」がヤバイ! | 寝ぼけ眼のヴァイオリン 寿弾人kotobuki-hibito

今回はアニメのお話です。

2023年度の下半期のアニメをランキングしている記事があって、「薬屋のひとりごと」や「葬送のフリーレン」よりも評価されているアニメがありました。

 

ちなみに「薬屋のひとりごと」はよく練られたミステリーで、「葬送のフリーレン」は深い意味を持つアニメ。

特に「葬送のフリーレン」は「悠久の時の流れのなかで、限りある人生は一見はかなく思える。でもそのはかない人生もよく観察すれば、しっかりと様々な種子を未来へ蒔いている」ということを語っていて深いです。誰でも生きていると「俺(私)みたいなつまらない人間の人生なんてなんの価値もない」などと何度も思うだろうけど、このアニメはそういう荒廃した気持ちを温かく包んでくれる。演出も静かなのだけれど、セリフや間といった行間から、登場人物の気持ちや思いの深さが感じられる。

 

で、その記事のランキングでは、この「葬送のフリーレン」が2位。

いったい1位は何なのだと思って知ったのが、この「僕の心のヤバイやつ」。

タイトルの感じだと、最近のライトノベルにいかにもありそうな雰囲気。恋愛ものだというので、ご都合主義の魔法ものや転生ものかなにかと勝手に想像していた。

「さーて、どんなものだか、お手並み拝見」とちょっと意地悪な気持ちで鑑賞。(アマゾンプライムだと全話無料。本当にこういうときは便利なのです)

 

第1シーズンと第2シーズン全部見て思った。

これはなかなかの名作。

 

話は簡単です。中学校を舞台にした男女2人の生徒の恋を描いています。この主人公カップルのキャラクターは、男の子が陰キャで背の低い市川くん。女の子が天真爛漫で背の高い山田さん。ともに中学2年生のクラスメートです。

ライトノベルが好きな層が食いつく「萌えポイント」がしっかりしていて、山田さんの首あたりに市川くんの頭があるという壮絶な身長差。市川くんは殻にこもったコンプレックスだらけの暗い性格で、対する山田さんはモデル業もしていて大人びている美少女なのに、お菓子が大好きなドジっ子。

そして毎回、もどかしい二人の恋心が描かれて視聴者の胸がキュンキュンするようにできている。まさに「青春の甘酸っぱさがたまらない」作品です。

この作品をこう紹介すると、そんなに珍しくない、どこかで見たような内容に思えます。

 

でも、私が思うのは、この作品は「ラノベ風の萌え恋愛もの」の面を被っているだけ。この物語を作ろうとした人は、「萌える恋愛もの」を作ろうと意図したのではなくて、物語という形で恋愛という事象についての、ありとあらゆる考察をしたかったのではないか、ということです。

この物語は、恋愛を通じて、陰キャで殻にこもった市川くんの心が成長していくストーリーであるということは、視聴した人なら誰でもわかると思う。

そして私がこの作品を捉えるとき想像するのは、ひ弱でダメダメな男の子が、ひょんなことから恋愛の道を歩むことになり、人間として成長して、その道を究めていく物語。

そう、スポーツアスリート漫画の恋愛版です。

 

そういう眼でこの作品を見直してみると、いろいろな発見があります。

 

まずは設定。この物語の主人公ふたりは中学2年生です。恋愛ものを作るなら、高校生ぐらいが描きやすいと思います。中学生でははっきりいって幼すぎる。

ではなぜあえて中学2年生にしたのか?

 

私は男ですが、とりあえず自分が中学2年生のころを思い出してみよう。

声変りが始まり、性器には毛が生え、女性に興味津々で、エッチなテレビや雑誌や小説にドキドキし、性欲も旺盛なので、もちろんよくオナニーもしていました。私の場合は、女の兄弟がいないうえに、中高男子校だったということもあり、女性に興味津々なくせに、まったく未知の生き物のように思えて、魅力的な謎の生き物と深く関わることへの本能的な恐れもあった。まあ、私も市川くんのように内面ではこじらせた男の子だったに違いありません。

この物語では、市川くんのスタート地点もほぼこういう状態と考えていいのではないでしょうか。違うのはお姉さんがいて、女性に対する耐性がちょっとできていることぐらい。

この物語の最初で、心の殻に閉じこもった市川くんは山田さんと出会います。このとき、市川くんは自分の聖域であった図書室に無神経に侵入してきた「敵」として、山田さんを認知します。市川くんにとって、山田さんは謎の未知の生き物のようなものです。多感な少年にとっては、ある日、UFOが飛来して、異星人が目の前に現れたような衝撃。そこには怖さもあります。

これは中学2年生だから感じる感覚だと思います。高校生になったらこんな新鮮な戸惑いは消えていくでしょう。

 

作者はたぶん、異性を意識し始め、それに戸惑い始める時期の子どもたちにこの物語を伝えたかったのではないかと推測します。

この物語の作者が伝えたかったことは、こういうことではないか。素敵な恋愛とは、体の構造も考え方や感じ方もお互い異なるかもしれないけれど、相手が何を感じて、何を考えているのか、同じ生き物として認めあい理解しあい大切に思い合うこと。

言葉にすれば当たり前なのですが、それを愚直にまっすぐ、物語にしたのがこの作品です。

 

もう一度、中学2年生のありきたりな男子の話に戻りましょう。

標準的な中学2年生の男の子というものは、おそらく、クラスメートがどのような人生を背負って生きているかなどということには無頓着だし、そうした他人様の人生に自ら首を突っ込むことは煩わしいと感じると思います。かわいい女の子に恋をしたとしても、仲良くなって恋人ごっこをする妄想は膨らむものの、相手がどんなことを考えて生きていて、家庭を含めた環境がどんなもので、これからどういう夢があるかなどには意外と興味がなかったりする。

こういう普通の中学2年生の男の子が、女の子と相思相愛になって付き合い始めたとして、どうなるだろうか?

その男の子の精神年齢が低ければ、「チューしてえ」とか「おっぱい触りたい」とか「エッチはどうやるのだろ?」などという性的興味と衝動で頭がいっぱいになり、その女の子ときちんとした人間関係も築けずに、遅かれ早かれ振られることになる。

これは早熟な女の子が男の子と付き合う場合にも似たようなことが言える。「かっこいい男の子と付き合ってみたい」とか「自慢できる彼氏がほしい」という憧れで、とりあえず付き合い始め、相手の求めるがままエッチもしてはみたが、そんなにいいものではないとがっかりして、その関係を終わらすことはよくあることだと思う。

 

ところがこの物語ではそんなことにはならない。

物語の最初の方の展開はこんな調子だ。

市川くんはとりあえず、ビビりながらこの異星人、もとい山田さんを遠くから観察し始める。そして異星人が意外と魅力的なことにすぐ気づきつつ、臆病なので、見知らぬ異星人への警戒はなかなか解かない。

しかし見知らぬ異星人は、市川くんに対してありえないほど天真爛漫でフレンドリー。もちろん市川くんは、その友好を示す行動が好意などではなく、なにかの罠ではないかという疑念を拭い去ることができず、悶々とする。

中学生でモデルまでしている山田さんが、なぜ市川くんを好きになったかはほとんど語られていないが、アニメでは「市川くんは猫みたい」という表現があって、少なくとも最初のうちは、なかなか懐かない野良猫を手なずけたいというような欲求であることが明らかになっている。

こうしてスタートするふたりの物語なのだけれど、ここから先に進むに従って、市川くんは中学2年生とは思えない立派な人格を視聴者に明らかにしていく。

 

市川くんは山田さんが自分を好きだという可能性を自ら否定し続ける。市川くんは陰キャでコンプレックスを抱えているという設定なので、この心理はごく自然に見えるのだけれど、だんだんこれがある種の「謙虚さ」に巧妙にすり替わっていくのだ。

もし陰キャでコンプレックスを抱えた男の子に、突然ものすごい可愛い彼女ができたら、現実的には一挙に自らの欲望を開放させようとするただの俗物になることだろう。

そんな事例をいくつか考えてみよう。

例えば、「俺にはこんな可愛い彼女がいる!」と自慢して周囲にマウントを取りに行くというのもありそうな話だ。

ところがこの物語では、それをしない市川くんを描く。自分のような情けない男と仲がいいと周囲に知れたら、山田さんに迷惑がかかるだろうと考えて行動するのだ。

例えば、自分をずっと好きでいてもらいたいと願うあまり不安になり、彼女を繋ぎとめるための策略を練る人もいるだろう。しかし市川くんは山田さんを喜ばせることをしたいと純粋に思うのだが、一方で自分の行動が相手にどう思われるか気にして悶々とする。悶々とする理由は「好かれてもいないのに、好かれていると勘違いしてそんなことをしたら『キモイ』と思われるに違いない」というわけだ。

例えば、相手が自分を好きだと確信できたら、さらに相手を支配しようと考えるかもしれない。しかし市川くんは決して自分の欲望を山田さんには押し付けない。それを感じた瞬間にそうしようとした自分を批難し反省までしている。

そして市川くんはこの年頃の男の子としては異常なほど、己の性的衝動を抑制している。(もちろん、あるのだが、山田さんの気持ちを考えて抑制しているのだ)

 

この物語のエピソードはいま羅列したような、恋愛において普通の人間が無意識に行ってしまう行動を、市川くんが熟考して悩み、ことごとく否定していく、という出来事で作られているといってもいい。

市川くんの結論はいつもシンプルだ。「山田さんが幸せでいられることが正しい」

このアニメの毎回のエピソードは、恋愛道において新たな課題を与えられた市川くんが悶々と悩み、「山田さんが幸せでいられることが正しい」という行動をとり、山田さんがそれに気づいて、さらにふたりの気持ちが通い合うという構造でできている。

毎回のクライマックスは、ふたりの気持ちが通い合うという部分なので、ここでの不器用ないちいちゃが視聴者の胸をキュンキュンさせるという仕掛けになっているわけだ。

市川くんは回を追うごとに、恋愛道での能力が次々と覚醒していき、エピソード2の最後まで見ると、「これは中学3年生の考えることではないだろ。お前らは大谷翔平か?」と言いたくなるような精神年齢の異常な高さがさすがに目につく。

しかし、物語の作者の伝えたいことは明白だ。男と女は違う生き物かもしれないけれど同じ人間であり、正しい恋愛とは、同じ人間として相手の気持ちを大切にしあうことだ、ということ。

 

うーん、このアニメ、小学校高学年とか、それこそ中学2年生あたりで性教育のビデオとして学校で視聴させればいいのに。

セックスしたからといってお互い分かり合えるものではない。

セックスしなくても心が通えば気持ちいい。

そして、気持ちが通ったセックスはものすごい気持ちいい。(あ、ちなみにこのアニメではセックスは出てきません)

 

そして心が汚れて荒んでしまった大人たちにも、ぜひ見てほしいアニメです。個人的には、アダルトビデオなんかより、よほどエロいと思いますし、さらにはものすごい有益です!