小さいドラベのお子さんと会うと、ことぶきが小さい時を思い出します。
そしていつも『この生活で合っていたのかな』と考えたりもします。
考えたって、答えはないし
今でも探りながらの生活で、それが正解なのかも分からないけど
でもこんなデリケートな病気の子どもを育てていて
生活の中での選択1つ1つに、責任だけではなく、命がかかってきていて
周りからの言葉に悩まされたり
同じ病気の子の様子を聞いて、考えさせられたり。
きっとこんな思いをしてるのは、私だけじゃないとは思うけど
あーーもっとこうしていたら 。
あーーもっとああしていれば。
『たら、れば』の話は意味がないのは、百も承知だけど
小さい時に守り過ぎたかな、と思ってみたり(←今もだけど)
でもインフルエンザになった2歳の時の
あの、病院にいるのに薬を入れても入れても発作が止まらなくて
『もう助からないかも知れない』という恐怖も経験してるので
守ってきたから、今があるんだとも思えたり。
どんなに守っていても、脳症になってしまったお子さんもいたり。
ドラベ症候群という病気は、全てにおいて正しい答えはなくて
でも1日1日を、大切に生きて、我が子にとってより良い選択を一生懸命考えて
出した答えが正解なんだと思いたいです。
今の小さいドラベのお子さんを見てると、結構な冒険をしてるなーと思います。
とても羨ましくもあり、少し心配でもありますが
でも本当にみんな、一生懸命勉強していて
ドクターにもきちんと自分の考えや意見を言えていて
『乳児重症ミオクロニーてんかん』と検索して、悪いことしかなかったあの時代とは
明らかに変わってるなと感じます。
私には私に出来ることをしてきた、と自信を持って言えるわけじゃないけど
ことぶきの笑顔を見て『ま、いいよね』と思うようにしています。
予防接種、薬の調整や選択、救急搬送時のタイミング、ダイアップのタイミング、訓練や療育、感染症、お昼寝や生活リズム。
何がどうって、教科書にはなくて
これからも続く、このドラベ症候群の人生の中で
私も含めてドラベ症候群の家族が、上手に選択していけることを、心から祈っています。
↑ご飯をテーブルに置くと、きちんと正座して待ってる京女です。
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