静岡入院最終日 | ことぶき・ちゃちゃちゃ

ことぶき・ちゃちゃちゃ

難治性てんかんドラベ症候群(乳児重症ミオクロニーてんかん)と闘う娘のことぶき。
顔だけで結婚を決めたイケメン(だった)B型の旦那さん。
私は普通の主婦です。
家族みんなで頑張っている闘病日記です。

金曜日はダイアップなしで過ごしてみると

午前中は目ぱちと目のミオクロニーはあるものの、活動的で

でもお昼からは、引っ張られるミオクロニーだらけで

起きてる間はほぼ意識朦朧。

しゃべる声に、力がある時とない時がありましたが

夕方からはもう、声も出なくて

着替えさせていたら、発作になり

ナースコールを押そうとしたら、ちょうど看護師さんが来て下さったので、見守りました。

右半身強直間代発作1分20秒。

止まったあと、少ししてからまた同じ右半身のぴくつきが強く

そのまま、夜寝るまで右に引っ張られてばかりで

次が来るか?と構えていましたが、就寝しました。

そんな中、主治医との面談がありましたが

脳波が悪すぎて『何じゃこりゃーー!』という感じだそうで

起きてる間は、ほぼミオクロニーの重責だという事でした。

血中濃度、バルプロ酸は40台。

トピナ8で、マイスタンデスメチルは2000台。

マイスタン減らしたのに、全然減ってないし…。

結局、トピナを半分位に減らして、臭化を新しく入れる事になりました。

フィコンパも勧められましたが、とにかくまだ臭化を試してないから試したい、と訴えました。

そういえばうちの子、ミスセンス変異でした。

主治医と遺伝子の話をガッツリしましたが、やっぱりお医者さんは頭が良すぎるなーとつくづく思いました(←要はあまり理解出来なかった)

そして、今日はもう1つ大切な事がありました。

療育最後の日。

生後10ヶ月の時から関わって下さった、静岡てんかんセンターの療育の先生とは

この入院を最後に、関わる事がなくなります。

ことぶきはもちろんですが、私もかなり助けられた先生だったので

一言で表せませんが、本当に本当に寂しくなります。

しんみりしたくないけど、きちんと終わらせる為に謝辞を用意しましたが

途中で泣けてきて、うまく読めませんでした(←自分で書いたくせに)

『正直、たくさんお手紙を頂きますが、ここで(母に)読まれたのは初めてです…』

と、先生に言われ

最後の最後まで『われが、われが』だったな~と軽く反省(←)

たくさんのありがとうを伝えて、あとは寂しくなるので

少しあっさり終わりにしました(←じゃないと先生を帰したくなくなる)

何か、恋愛の綺麗なお別れのような…そんな感じの気持ちと同じでした。

過去にそんな綺麗なお別れした事ないけど(←)

まったくの想像だけど(←)

ほら、別れた男はカスにしか思えないタイプだから(←)

でも先生とは、生きていればいつかどこかで会えるからと思って、これからも頑張ります。

そして、今日はパープルデイ大阪の為に撮った写真をプリントしてきました。

『Instagramって何?』と、世界のT先生が言うので(←)

『#』を『ハッシュタグ』と言うと

『難しい事言うね~』と言った若い先生もいたので(←)

静岡てんかんセンターの先生は、基本SNSに弱いらしいので

こんな写真撮れましたよ!と見せてあげようと思って(←)

そして、その写真たちを使ってA4病棟パープルディの飾りつけをみんなで作りました。




紫のはらペコ青むしがあちこちにいて、めちゃくちゃ可愛いです。

今回スタートダッシュが遅くて、まぁ要はやる気の問題もあるけど

発作も本当に酷くて、引きこもりもしたし

もっと病棟のみんなやドクター、看護師さんたちに参加して欲しかったけど

タイミングが合わなくて、申し訳なかったです。

初めてここを訪れる患者家族は

ただでさえ、発作のある赤ちゃんを連れていて

生活感のあるこのA4病棟を見て、不安でいっぱいになるので

大丈夫、みんな温かい人たちなんだよ、というのが

この写真を見て、少しでも伝われば良いなと思います。

にほんブログ村 病気ブログ てんかんへ
にほんブログ村