姪っ子のU(6歳)とK(3歳)はクイズが大好き。
今よりもっと小さい頃から、何かの真似をしては「これな~んだ?」と問題を出します。
「これな~んだ?」
「うーん…うさぎ!」
「正解~♪」
「これな~んだ?」
「んー…ゾウさん?」
「違うよ」
「カバ?」
「違ーう」
「えー…何だろう?あ!ワニ?」
「正解~♪」
そんなことをくり返し くり返し…
私は遠くに住んでいるので、いつもその相手をしているのは基本的に私の妹と母。
でも私が遊びにいくと、ここぞとばかりに私に問題を出してくれます。
「これな~んだ?」
「え~…カンガルー?」
「違ーう」
「ウサギ?」
「はずれ~」
「んー…わかんない。降参~」
「正解は~…ガゼルでした~!」
ガゼル?
何それ??
さすが動物好きの彼女たち。 よく知ってます。
そんなある日のこと。
答えても答えても、正解に至らない問題がありました。
いつもの真似ならぴょんぴょんしたり のそのそ歩いたり、何かしらの動きがあるのに
その時のUは、ただ丸まってじっとしているだけ。
何だろう?
さっぱりわからない…
「U~、わかんなーい」
「降参?」
「うん。降参~」
その時。
Uはにっこり笑って言いました。
「正解は~…アボカドでした~!!」
アボカド!!
それは私が好きな食べ物。
普段、Uたちは食べないけれど、私が好んで食べているもの。
お昼ご飯でパンを食べるときは必ずアボカドが一緒。
Uはそれを知っていました。
私がアボカド大好きなことを。
だからこその問題でした。
もし問題を出す相手が自分の母親や祖母だったら、絶対に出さなかった問題。
無意識にやってのける子どものこういう力。
すごいと思いませんか?
相手によって、その引き出しが変わる。
同じことをやっていても、相手の好みをきちんと把握してそれを出していく。
出されたこっちが嬉しくないはずありません。
うわー…ちゃんと分かってくれてるんだ!
私が嬉しくなることを無意識に選んで出してくるんだ!
なんてかわいいっ\(≧▽≦)/
これって、人と人との関係においてすごく大切な部分です。
無理やり相手の好みに合わせるということではなく、
自分も楽しくて、相手も嬉しいことを、“無理せず”ナチュラルに出していく。
そこにはあたたかい笑いが起こります。
子どもって、こういう人間の基本のコミュニケーションを
体中で感じて、自然に出してきます。
ナチュラルにやってのけます。
それを普通に大人もやってみたら…
人間関係がもっと楽になるんじゃないかな?
小さな子が妙に大人っぽいひとことを口にしたり
ぎょっとするようなことを口走ったり
そんな場に遭遇したことはありませんか?
私はあります。
姪っ子だったり、友達の子だったりいろいろですが。
「何でそんなことば知ってるの~?」
とほほえましく思えることもあれば
「どこで覚えてきちゃったの?!」
なんてびっくりすることも。
そんなとき、よく耳にする親のセリフがこれ。
「きっと私が無意識に言ってるのね~…」
確かに。
「そういえばあなた、そういう言葉使うね」と納得顔でうなずいてしまいます。
教えているわけではないのに、こども達は自然に
自分のまわりでとびかっている言葉を使うシチュエーションを掴んでいく。
次にそのことばを使ってみる。
そして意味を見つけて自分のものにしていきます。
おもしろい。
音が先。
真似してから、意味があとでついてくるって。
不思議だけど、みんなそうやって大きくなってる。
姪っ子のKが2~3歳になる一時期、よく言っていることばがありました。
「笑い事じゃない!!」
そう言われて大人は思わず笑ってしまうのですが^^;
Kはそのことばの意味を大人のように理解していたわけではないでしょう。
でも使うタイミングはバッチリ☆
ある日、入園予定の幼稚園に行った彼女は非常に緊張していました。
緊張のあまり、お絵かきもジャンプも何もやろうとしないK。
そこで彼女に笑いかけてくれた先生(彼女にとっては見知らぬ大人)に向かってひとこと。
「笑い事じゃない!」
いや、笑っちゃうんだけどね。
そんなあなたがかわいくて。
きっと彼女のまわりの誰かが口にしていたのでしょうね~。
「笑い事じゃないわよ」って。
ぎょっとするようなことを口走ったり
そんな場に遭遇したことはありませんか?
私はあります。
姪っ子だったり、友達の子だったりいろいろですが。
「何でそんなことば知ってるの~?」
とほほえましく思えることもあれば
「どこで覚えてきちゃったの?!」
なんてびっくりすることも。
そんなとき、よく耳にする親のセリフがこれ。
「きっと私が無意識に言ってるのね~…」
確かに。
「そういえばあなた、そういう言葉使うね」と納得顔でうなずいてしまいます。
教えているわけではないのに、こども達は自然に
自分のまわりでとびかっている言葉を使うシチュエーションを掴んでいく。
次にそのことばを使ってみる。
そして意味を見つけて自分のものにしていきます。
おもしろい。
音が先。
真似してから、意味があとでついてくるって。
不思議だけど、みんなそうやって大きくなってる。
姪っ子のKが2~3歳になる一時期、よく言っていることばがありました。
「笑い事じゃない!!」
そう言われて大人は思わず笑ってしまうのですが^^;
Kはそのことばの意味を大人のように理解していたわけではないでしょう。
でも使うタイミングはバッチリ☆
ある日、入園予定の幼稚園に行った彼女は非常に緊張していました。
緊張のあまり、お絵かきもジャンプも何もやろうとしないK。
そこで彼女に笑いかけてくれた先生(彼女にとっては見知らぬ大人)に向かってひとこと。
「笑い事じゃない!」
いや、笑っちゃうんだけどね。
そんなあなたがかわいくて。
きっと彼女のまわりの誰かが口にしていたのでしょうね~。
「笑い事じゃないわよ」って。
妹が6歳の娘Uに聞いたことがある。
「Uたんはどうして日本語が話せるようになったの?
お腹の中にいたときは知らなかったはずなのに」
このとき、Uは迷わず即答。
「かあか(お母さん)の真似したの」
このひとことは、少なからず私を驚かせた。
すごい!
彼女は真理を捉えてる。
確かに、人間がどのように言葉(特に母国語)を習得していくのかは
いまだ解明されていない。
たくさんの言語学者が研究したり
世界各地で様々な語学学習メソッドが生まれたりしているけれど、
どれも、すべての人間が行ってきた自然習得とは一線を画している。
今、私はとある団体の『多言語の自然習得』という活動に興味をもち実験中なのだけれど、
そこで大切だと言われているのが『真似』。
(この内容についてはまた後日、機会があれば。)
考えてみれば、私が今まで出会った「勉強したことないけど話せる人たち」は
みんな共通して同じことを言っていた。
「耳で聞いたのをそのまま言ってるだけ」
「その環境にいたら、何となくだんだん分かってきたんだ」
「何もわからずに(その国に)行っちゃったんだ」
「勉強したことはないんだよね」
彼らの言葉は、どれもすごく自然。
発音や滑らかさが、ネイティブとなんら変わらない。
彼らはみんな、
耳で聞いて、「こうかな?」と体験の中から意味を見つけ出し
言ってみて、自分の言葉にしている。
そこにあるのは「耳から」ということと
「体験がある」ということ。
文法は、ない。
文字も、ない。
「読む」「書く」「話す」「聞く」を人間が習得していく順番を考えてみると
そこに答えがある気がする。
赤ちゃんが生まれて、まず最初にするのは「聞く」だ。
そこからだんだん「話す」ようになる。
子どもたちは、読み書きができなくても、何ら不自由なくコミュニケーションがとれるのだから。
そこからだんだん、文字の存在を知ることで「書く」ようになり、
最後に「読める」ようになっていく。
読めるようになって、「国語」というものを勉強し
そこで初めて「文法」の存在を知る。
でも、文法がわからなくても、私たち日本人は日本語には不自由していない。
むしろ文法が苦手な人は多い。
ということは。
と、いうことは。
…ね。
「Uたんはどうして日本語が話せるようになったの?
お腹の中にいたときは知らなかったはずなのに」
このとき、Uは迷わず即答。
「かあか(お母さん)の真似したの」
このひとことは、少なからず私を驚かせた。
すごい!
彼女は真理を捉えてる。
確かに、人間がどのように言葉(特に母国語)を習得していくのかは
いまだ解明されていない。
たくさんの言語学者が研究したり
世界各地で様々な語学学習メソッドが生まれたりしているけれど、
どれも、すべての人間が行ってきた自然習得とは一線を画している。
今、私はとある団体の『多言語の自然習得』という活動に興味をもち実験中なのだけれど、
そこで大切だと言われているのが『真似』。
(この内容についてはまた後日、機会があれば。)
考えてみれば、私が今まで出会った「勉強したことないけど話せる人たち」は
みんな共通して同じことを言っていた。
「耳で聞いたのをそのまま言ってるだけ」
「その環境にいたら、何となくだんだん分かってきたんだ」
「何もわからずに(その国に)行っちゃったんだ」
「勉強したことはないんだよね」
彼らの言葉は、どれもすごく自然。
発音や滑らかさが、ネイティブとなんら変わらない。
彼らはみんな、
耳で聞いて、「こうかな?」と体験の中から意味を見つけ出し
言ってみて、自分の言葉にしている。
そこにあるのは「耳から」ということと
「体験がある」ということ。
文法は、ない。
文字も、ない。
「読む」「書く」「話す」「聞く」を人間が習得していく順番を考えてみると
そこに答えがある気がする。
赤ちゃんが生まれて、まず最初にするのは「聞く」だ。
そこからだんだん「話す」ようになる。
子どもたちは、読み書きができなくても、何ら不自由なくコミュニケーションがとれるのだから。
そこからだんだん、文字の存在を知ることで「書く」ようになり、
最後に「読める」ようになっていく。
読めるようになって、「国語」というものを勉強し
そこで初めて「文法」の存在を知る。
でも、文法がわからなくても、私たち日本人は日本語には不自由していない。
むしろ文法が苦手な人は多い。
ということは。
と、いうことは。
…ね。
ことばには不思議なチカラがある。魅力がある。
気づいたら仕事も好きなことも、ことばに関連したことだった。
人間なら誰でも自然に身につけてきたコトバたち。
それはとても大きなパワーを秘めている。
カラーセラピストになって、ことばが人の気づきを引き出す力を持つことを実感した。
コーチになって、ことばが人の能力を引き出すパワーを持つことを実感した。
日本人以外の人たちとコミュニケーションするようになって
ことばによって世界が広がることを実感した。
英語を、そしてそれ以外の外国語を話すようになって
ことばは世界を狭く近くしてくれるものだと実感した。
コミュニケーションの手段のひとつとして
言語として
どんな人間でも自然に身につけてきている不思議な自然科学として
人間の能力を引き出すことのできるツールとして
大好きな世界を見ていきたいと思ってこのブログを書いてみます。
気づいたら仕事も好きなことも、ことばに関連したことだった。
人間なら誰でも自然に身につけてきたコトバたち。
それはとても大きなパワーを秘めている。
カラーセラピストになって、ことばが人の気づきを引き出す力を持つことを実感した。
コーチになって、ことばが人の能力を引き出すパワーを持つことを実感した。
日本人以外の人たちとコミュニケーションするようになって
ことばによって世界が広がることを実感した。
英語を、そしてそれ以外の外国語を話すようになって
ことばは世界を狭く近くしてくれるものだと実感した。
コミュニケーションの手段のひとつとして
言語として
どんな人間でも自然に身につけてきている不思議な自然科学として
人間の能力を引き出すことのできるツールとして
大好きな世界を見ていきたいと思ってこのブログを書いてみます。