『音を溜め込む“だけ”の賛否両論』のつづき
メキシコ滞在中、私は自分とスペイン語の関わり方には4つのパターンあることに気がついた。
ひとつめは、全然ひっかからない音。
相手が話していても、自分の中を素通りしていくどころか「何?」と思いもしない。
おそらく今までカケラも耳にしたことのない音だったり、語彙だったりしたのだろう。
まったくひっかからないから、その種の音がどの程度私のまわりにあったのかすらわからない。
ふたつめはその逆。
自分の中にストンと入ってくる音。
「おおっ!それってこういう意味なんだ!」とか
「わっ!いきなり意味がクリアになった!」とか
「こう言えばいいのか~!」とか
比較的苦労することなく、その音が自分のものになる感覚。
これはとてもおもしろいし、楽しい。
自分の中のスペイン語がどんどん増えていく感覚が味わえる。
みっつめは、通り過ぎていく音。
何となく耳に届いてはいるけれど、たぶんその時点ではそんなに重要視されていない。
だから私の脳や体が、無意識に素通りさせている感じ。
聞こえているけれど、「それってどういう意味?!」と引っかかりはしないということ。
ただおもしろいことに、この言葉の中には、ある時私の中に戻ってきてストンと落ちるものがある。
そして最後が、一度入ってきて、お腹の中でモヤモヤしてから一旦出て行ってしまう音。
実はこれが、一番もどかしくて、一番おもしろい。
「わっ!何それ?!ああ、そういう意味か~…」
なんて思うのに、直後に
「あれ?さっきの何ていう言葉だったっけ?」
と自分の中から抜けていってしまう言葉たち。
何度も何度も聞いては忘れ、聞いては忘れ…
お腹の中がモヤモヤする。
そして同じことを何度も繰り返す音もあれば
何度か繰り返して、ある時スッと自分の中に入ってくる音もあった。
このモヤモヤがね、多ければ多いほど、ストンと入ってくる音の量が増えると思うわけ。私は。
以上の4つが、私がメキシコで味わった、スペイン語と自分の関係の体感覚。
この4つの感覚に気づいたとき、私は最高にワクワクした。
体はとっても正直。
すべてを感覚で味わっている。
メキシコ滞在はほんの数日という短い期間。
けれど自分のまわりを飛び交っている言葉たちが私の体を出入りする感覚は、何とも繊細でむず痒く幸せなものだった。
中でも “音がストンと自分の中に落ちる感じ” はたまらない!
あれをまた、味わいたい。
何度でも。
何度でも。