メキシコでショートホームステイをしていた時。
自分とスペイン語の関係を観察するのが、私はとてもおもしろかった。
たくさん聞いてそれをただ意味もわからないまま真似して…
だけを繰り返して臨んだホームステイ。
だから自分の中でどんなことが起こるのかは未知数だった。
結果は、自分のことながら賛否両論。
『賛』に相当することといえば、まるで自分の体の中に辞書があるかのような感覚をもっていたこと。
たくさん音が溜まっているというのはこういう感覚か!
と驚いた。
自分の中にあった、意味のわからない音たちがバラバラとほどけてどういう意味のどんな言葉だったのかがわかる。
うーん…
これって、こうやって文字で書いて伝わるものなのだろうか…?
逆に『否』に相当することといえば、「なーんだ、この程度にしかなってないのか…」と思ってしまったこと。
私は、もっともっと自分の中からスペイン語が溢れ出てくる感覚を期待していた。
ただこれは、滞在期間が短かったことや、ホストファミリーがあまり積極的にスペイン語で会話するタイプではなかったということも関係あるかもしれない。
それは、ホームステイ終了後のトラブル時に感じたことに裏付けされている。
いざ帰らんという日、飛行機が飛ばずに帰国が延期になった。
なんと5日間!
空港で延々とキャンセル待ちし続けただけの日もあり、実質ゆったりできたのは1日半。
その5日間、現地で面倒を見てくれた彼らとの会話は基本スペイン語。
正直なところ、ホームステイをした6日間よりもスペイン語での会話やメキシコそのものを体験している感覚的量が多かった。
そしてその時の会話によって、自分の中にあるスペイン語の芽がどんどん育っていくのを私は感じたわけだ。
そこで私は確信した。
やっぱり『生の会話』に勝るものはない。
自動翻訳アプリのある便利な時代。
でも“翻訳”や“置き換え”に頼っている以上、言葉が育つことはあまりない。
その言語の体験ゼロで現地に入ったってかまわない。
でも音をたくさん溜め込んでいけばいくほど、自分の中で何かが変わるのだ。
ある時それが爆発する。
あの、私の中にあった辞書が生きてくるように。
>>『スペイン語の4つの落ち方』につづく