日本語以外を話したい① | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

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ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

たまに、ものすごく日本語以外の言葉を話したくなる。
何故だかわからないけれど。

といっても、別に私はペラペラと多言語を操れるわけではない。
せいぜい、簡単な一文をポコっと言いたくなるとか、その程度。

それにしても、これは一体何だろう?

そうすることで何かが吐き出せるのか
違う自分を表現したいのか
はたまた自分を覆う見えない殻を感じて、破りたいと無意識に思っているのか…

でも、話していていきなりドイツ語やらフランス語やらで「Was?」とか「Qu'est-ce que c'est?」なんて言われたら、相手はきっとギョッとする。

口にした私だって「私、何言っちゃってんの?!」と自ら突っ込み、言い訳を探すに違いない。

そんなわけで私はグッとこらえ、それらの言葉を飲み込むのだ。

でもそうやって抑え込んだものは、うっすらと積もっていく。
塵も積もれば山となる。

わけのわからないストレス。



昨年、「ジベリッシュ瞑想」というものを知った。

意味のない言葉(音声)を口に任せて1時間ほど話し続ける。
インドのとある高僧(神秘家?詳しくわからないのだけれど)は、このジベリッシュだけで講話を行っていたのだという。

ジベリッシュの存在を知ったとき、私は「これだ」と思った。
私これ、絶対得意だ。

この瞑想が意図していることもなるほどと思う。
でも今は、こちらはひとまず置いておいて。

何故私はそれが得意だと思ったのか。

それは昔から無意識に自分がやっていたことだったから。


ふにゃふにゃごにゃごにゃ…
私は昔から、意味のない言葉を口にすることがあった。
ほんの数秒ではあるけれど。

当然のことながら、人前でそんなことをしたら奇異の目で見られることくらいはわかっている。
だからこの、私のワケノワカラナイ癖(?)は、主人しか知らない。

もにゃもにゃ意味のない音を吐き出してスッキリする私を見て、彼は「うちの奥さんはたまに宇宙と交信するよね~」なんておもしろがっていた。

ジベリッシュというものと知った今、ワケノワカラナイまま私を許容してくれ続けた彼にただただ頭がさがる。



たまに話したくなる、日本語以外の言語。

おそらく理由は
自分の内側に溜まっている何かを吐き出す
という、これだけではない。

でもちょっと…

こんな理由もひとつあるのかもしれないな…と、この記事を書きながら気がついた。



日本語以外を話したい②』につづく