手話を学び、地元の手話サークルに入った頃
ある男性の体験談を聞く機会があった。
耳の不自由な彼は、手話で話をしてくれる。
その話が私には衝撃的であり、また「???」だった。
仕事かろう協の活動関連だったのかは忘れてしまったのだけれど、ある時彼はオーストラリアへ行った。
彼はサーフィンが趣味だという。
朝起きて、オーストラリアのろうあ者と会う。
その時、見たことのない手話をされた。
けれど彼は、相手が何を言っているのかがわかったと言う。
「だってあの状況で、あの手話だったから。
あれがオーストラリアの『おはよう』っていう手話だよ」
そうやって、彼は他の言葉も状況と感覚で理解し、むこうの仲間と一緒にサーフィンを楽しみ、これといって困ることもなく過ごし帰ってきたのだという。
当たり前のように語る彼に、当時の私は開いた口が塞がらなかった。
は…?
なんで?
『おはよう』はともかく、どうして他の言葉もわかるの??
例えば日本人にとっての英語は、「慣れない音」というだけで後ずさってしまう。
どんなに勉強しても、人と人として向き合うチャンスがなければ、それは未知の音声であり、未知の言葉。
無意識に自分で壁を作ってしまうのだ。
なのに彼からはそれをまったく感じない。
予測だけで会話が成立するものなの??
私にとって衝撃的だったその体験談は、クエスチョンを残したまま、何年も私の中に存在し続けた。
そして今。
なんとなく少し、彼が言っていたことがわかる。
状況と感覚から五感をフルに活用すること、
そしてお互いが相手と向き合おうとする気持ち。
それがあるかないかで人と人とのコミュニケーションは変わってくる。
もちろん音の聞こえる私の場合は、
母国語以外の音にどれだけ慣れているかもポイントになってはくるけれど。
彼らには音がない。
それはもしかしたら、無意識に作ってしまう、必要のないハードルを最初から持っていないということなのかもしれないと、今、思うのだ。