ブルキナファソやガボンなど、アフリカのフランス語圏の国々では
英語の他にドイツ語を学ぶ機会が多いらしい。
64の現地語を持つブルキナファソも
52の現地語を持つガボンも多言語国家。
でも公用語のフランス語がないとコミュニケーションがムズカシイと
両国の友人たちが言っていた。
アフリカやヨーロッパにある小さな国のような多言語国家では、
当然のように何ヶ国語も操る人が多い。
以前からそれを聞いていた私にとって、多言語国家で暮らす彼女達の
「公用語がないと会話できない」という言葉はとても不思議だった。
ただ多言語国家に暮らし、何ヶ国語も話せる人であっても
“学校で学んだ新たな言語”は身につかなかった
という話は聞いたことがある。
それは、その言語が話される環境があって自然に習得したものなのか
不自然な順番で学習してしまったものなのかの違いだ。
ブルキナファソやガボンの友人たちも、話せる言語はひとつではなかった。
現地語と公用語、最低でもふたつ。
そこにちょこっと英語やら他の言語やらがプラスされていたり。
そんな彼女達が頭を抱えて言っていた。
「ドイツ語はムズカシイ!!」
「die、der、dasとか、わけわかんない!」
私がブルキナファソのBさんと出会った時期と、
ガボンのAさんMさんと出会った時期はまったく異なる。
なのに彼女たちは図ったように同じことを言っていた。
私にしてみれば、彼女たちの操るフランス語だって
名詞に性があったり、主語によって動詞の活用が変わったり
定冠詞と不定冠詞があったりと、わけがわからない。
そういうものがまったく存在しない日本語を話す私からしてみれば
似たような考えのもとに構成されているフランス語とドイツ語の方が
はるかに近く、得やすい言語だと思うのだけれど…
どうやら彼女たちは、ドイツ語の格変化やそれに伴う冠詞の変化が
お気に召さないらしい。
名詞も、フランス語やスペイン語などのラテン系の言語(ロマンス諸語)だったら
男性と女性のふたつだけれど、ドイツ語はそこに中性名詞がプラスされて3つ。
だから混乱するのかな?
そりゃまぁ、学んで覚えて…をするなら
多いより少ない方が、理解しやすいものね。
どんな立ち位置にいたとしても、コトバをどの角度から見るかによって
おもしろさの感じ方も難しさの感じ方も変わってくる。
コトバは味方につけていた方がいい。
その方が確実に、自分の世界は広がっていく。
そして確実に、世界が狭く近くなる。
だからどうせなら、
「ムズカシイ~~~っ!!」「ワケわから~~~ん!!」
と思うより、
「おもしろーい♪」「楽しい~♪」
と思いながら触れ合えた方がいい。
だから一番はやっぱり、生の言語に触れることだ。
机上の勉強だけれはなく、生の音、生の人間に。
だから言語に関してのみ言えば、
『勉強』は、プラス面とマイナス面が紙一重。
もちろん、通訳士や翻訳家などのプロになろうという人は
その上にプラスアルファが必要だけれども。
『音』と『人』。
まずはそれありき。
『音』と『人』が先にあるとき、そのコトバは生きてくる。
そして
そのコトバは『ワケわからなくてつまらないもの』から
『○○さんと話せる言葉』になる。
それにしても、フランス語話者の彼女たちの
ドイツ語に対する途方に暮れっぷりは、おもしろかった。
コトバが人を混乱させるポイントって、世界共通なのね(笑)