「日本人は英語が話せない」
「日本人は自己主張しない」
「日本人はイエスかノーかはっきりしない」
こういう主張はよく耳にする。
確かに、そういう部分はある。
「そんなことない!」とは言い切れない。
とはいえ、思うのだ。
うーん…
必ずしもそういうことではないのでは… と。
それを最初に思ったのは、ロンドンでの語学学校だった。
入ったのは下から2番目のクラス。
そこには数名の日本人とそれ以上のヨーロピアンがいた。
“同じレベル”と言われて入ったそのクラス。
でもヨーロピアンはよくしゃべる。
非常によくしゃべるのだ。
特に印象的だったのがイタリア人。
授業中でもよくしゃべる。
とにかくしゃべる。
ずーっとしゃべっている!
何なの?!この人たち。
どうしてこんなに話せるの?
こんなに話せるのに、どうしてこのクラスにいるわけ??!
そう思っていた。
…最初は。
でも徐々に慣れてくる中で気づいたのだ。
彼女たちが話している内容に。
それはこんなことだった。
「え~とね、何ていうのかしら。そうね~…
ほら、あれよ、あれみたいな…
んーとね、あのね…」
延々と…
それはもう、延々とそんなことを言っていた。
何か意味のあることを話していたり
先生の質問に対しての回答を述べていたわけではなかったのだ!
そしてこんな風に続いていく。
「そうそう、そういえばこの間、私のボーイフレンドがね…」
授業中に。
先生からの、質問の途中で。
いやいや、それ今、全然関係ないんじゃない?!
この時、気が付いた。
これって、日本人が自己主張しないとか、話さないとかいうのとは
そもそも次元が違う。
その『場』でのあり方が、すでに全然違うのだということに。
延々とひとりでみんなの時間を使って
「えっとね、えっとね…何て言ったらいいのかしら…
何だかうまく言えないんだけど…
そういえば私の彼氏がね…」
って、日本でやったらひんしゅくじゃない?
言ってしまえば、自分が話したいだけ話して
場の空気は読んでいないわけだから。
そんなこと、日本人は絶対に存在しない!とは言いきれないけれど
授業中にあの展開…というのはあまり遭遇しない。
少なくとも私の育ってきた環境において、
あまりお目にかかったことはなかった。
あの時、あのクラスで。
「日本人は話さない」
「日本人は自己主張しない」
少なくとも、そういう問題ではない部分が見えた。
延々と話し続けるイタリア人の彼女を
数名の日本人はぽかんとしながら見つめていた。