言葉の“習得”と“勉強”の違い。
それはいろいろあるけれど、そのひとつは
“習得”の場合、順番が決まっていないということ。
無数のコトバが身の回りで飛び交い
体験しながらコトバの意味を掴んでいく。
そして自分に必要な言葉を自然に聞き取って真似してみる。
使ってみて、その状況に合っているのかどうかを感じ取り
それを繰り返しながら自分のものにする。
感覚を掴んでしまえば、それは自分の中から決して失われない。
それが“習得”。
一方“勉強”となると、どんなに『自然に』を心がけたところで
どうしたって人工的になる。
『「こんにちは。はじめまして。私の名前は○○です。
どうぞよろしくお願いします」
「ありがとう」
よく使うフレーズから順に、自然な流れで学びましょう!』
って、これのどこが自然?!
これは自然なのではなく、「知っているととりあえず安心できるフレーズ」だ。
もちろんダメじゃない。
だって“学んで”いるんだもん。
海外の人と出会って、その国の言葉を教えてもらいたいと思ったとき
「○○って何て言うの?」と尋ねるのは簡単だ。
相手も喜んで教えてくれる。
でもこれ、実は深い落とし穴。
何故かと言うと
意外と何を聞いたらいいのかわからないのだ。
なので結局、似たような質問になる。
1.あいさつ
(おはよう~おやすみなさい、ありがとう、どうぞなど)
2.『私は~です』
(名前、職業、日本人…などをとりあえず入れてみる)
3.『これは~です』
(目の前にあるモノを指さしてとりあえず言ってみる)
4.数字
(とりあえず1~10まで)
そしてもう少しいけそう!と思うとちょっと追加してこんな感じ。
5.思いついたフレーズ
(疲れた、おいしい、嬉しい、楽しい、好きなど)
6.思い浮かんだ動詞
(食べる、飲む、寝る、行くなど)
順番は多少入れ替わるかもしれないけれど
大抵はこんな感じではないだろうか。
私だけ…ではないと思う。
これをよくよく見てみると、結局は“勉強”するときに
学ぶ順番と大差ないように思える。
発想が貧困なのか
長年のうちにしみこんでしまっている思考回路のせいなのか…
わからないけれど。
“勉強”する時なら、これにあと疑問詞が加わるかな。
『これは何ですか?』
『~はどこですか?』
おもしろいほど、知らず知らずのうちにされているパターン化。
それはそれで別にかまわない。
だってやっぱり便利な気がするし、
こういう“基本”を感じるフレーズは安心するものね。
ただこれだけだとちょっと不便。
(もちろん充分な会話をするにはこれだけじゃ不便で当たり前なのだけれど)
「これ知ってたらすごくいいよな~!」
と思うフレーズがある。
そしてこのフレーズは、なかなか日本語以外の言語では質問&説明しづらい。
私の英語力などの問題もあるけれど。
(相手が英語とは限らないしね)
それはこれ。
『何だっけ?』
そう、『何だっけ?』 だ。
(さっき言ってた)あれ何だっけ?
さっきの(出来事)何だっけ~?
さっきの(もの)何だっけ?
あれ何(て言うん)だっけ?
(言おうとしていたこと)何だっけ?
『何だっけ?』には、たくさんの意味が含まれる。
これが言えたら、すごく便利じゃない?
一度で覚えられなかったものを聞きたいときも
思い出せないんだよと示したいときも
話題をふりたいときも
すべて『何だっけ』で相手に投げかけられる。
あいさつも、『私は~です』も、『これは~です』もいいけれど
『えーと、何だっけ?』があるだけで
会話にクッションが生まれるし、つながりがナチュラルになる。
だから『何だっけ?』は、私が多言語で知りたいフレーズのひとつ。
この便利フレーズ 『何だっけ?』
気づかせてくれたのは2歳当時の姪っ子だ。
「なんだっけ~~~っ??」
首をかしげて思い出そうとする彼女。
なるほど~!! と思った。
もしかしたら、気にもとめない小さなフレーズ。
でもネイティブの、こぼしてしまいそうなこういうフレーズこそ
ネイティブらしさが表れる。
いいよね♪ 『何だっけ?』 v(^-^)