中学校のとき、『日本語英語』で有名な先生がいらした。
日本語英語。
つまり、カタカナ英語。
「This is a pen.」 が 「ディス イズ ア ペン」 に
「Good morning.」 が 「グッド モーニング」 になってしまう、あれだ。
発音もイントネーションも、ネイティブの英語とはかけ離れている、
まさに『日本語の音』になってしまっている英語モドキ。
中学生は厳しい。
たとえ自分たちが英語を話せなくても
教師の発音にはうるさいのだ。
かく言う私も、自分は話せないながらも
正しい音で学びたいという欲求はあった。
この『カタカナ音』の問題は、英語に限ったことではない。
中国語だろうとフランス語だろうと、同じこと。
最近は、「カタカナ英語にならないように!」だけでなく
「カタカナ中国語にならないように!」という広告も目につくようになった。
裏を返せば、それだけ
“日本人の外国語の学び方はカタカナ音に変換してしまいがち”
だといえる。
『音』は、コトバの持つ要素のひとつでしかない。
しかし、それだけに注目してみても
言語によって母音も、子音も、それらの数も
体系も、成り立ちも、発音も、イントネーションも全然違う。
言語ごとに、音に対する感覚そのものが異なっているのだ。
それがわかっていれば、
すべてを日本語の音に置き換えて考えようとすること自体
おかしいことに気づく。
日本語の51音(あいうえお)や
日本語の平坦な波になぞらえようとするから
いつまでたってもその言語が自分の中に入ってこない。
まったく異なるものなのに、無理にこちらのルールに当てはめようとする。
だからおかしくなるのだ。
カタカナは、便利。
でも時に、その便利さがコトバの習得の邪魔をする。
「でもやっぱり目安がほしい!
カタカナで書きたい!
書いたら覚えられる(ような気がする)!」
という気持ちはわかる。
特にその言語を表す文字で書けないのならば、なおさらだ。
別にそれは否定しない。
目安になるものね。
ただ私は、出会ってしまったのだ。
11年前。
『書く』ことを手放すしかない言語に。
ベトナム語
この言語を知ったとき
私は日本語の51音の脆さを痛感した。
もちろん世界を見渡せば、そんな言語はいくらでもある。
でも当時の私の世界はまだ非常に狭く、
『外国語=英語』だったのだ。
オーストラリアで同じホストの家にステイしていたベトナム人のKちゃん。
普段の会話は英語。
彼女との出会いで、日本人の英語が『カタカナ英語』になってしまうように
ベトナム人の英語もまた、ベトナム語訛りの英語になることを知った。
これはどの言語を話す人にも共通する。
実は私は、彼女の本名を知らない。
日本人にはあまり馴染みがないけれど
英語圏に行くと、自国の名前はみんなが発音できないからと
イングリッシュネームをつける人が多い。
特に中国人やベトナム人はほぼみんな。
韓国人もそう。
当然、ベトナム人である彼女もそうだった。
ある日、ベトナム語での本名を聞いてみた。
もちろんKちゃんは、嬉しそうに答えてくれた…のだ、が。
「※○%#”*※¥☆」
おわかりだろうか。
聞いた瞬間の私の脳内、
まさにこんな感じ。
あまりに未知の音すぎて何も聞き取れないのだ。
口をぽかーんと開けたまま数秒固まってしまった私。
ないの。
どこにもないのよ、知ってる音が。
ただの一音も。
「あ」も「い」も「う」も「え」も「お」も、
日本語で…カタカナで、目安にできるような音すら…
一音もないの!
彼女の表情が苦笑に変わる。
「難しいでしょ?」という彼女に
ただ黙って頷き返すことしかできなかった。
当時はまだ『真似する』ことの大切さを知らなかった私。
それに、今のようにその行為に慣れてもいなかった。
「聞いた音をそのまま真似して口に出してみる」なんてことは
当然できず、ただただ申し訳なさでいっぱいになった。
『名前』という、その人自身を表す大切なもの。
それすら口にできないなんて。
目の前の友達の名前を呼ぶことすらできないなんて。
この時私は
世界に存在する、コトバの多様さを知ったのだった。
書けないものは覚えようがない。
発音もできないし。
当時の私は、そんな狭い思考の中にいた。
今だったら、意味はわからなくても
とりあえず真似することができる。
それがいかに大切なことかも、知っている。
いつかもし、もう一度Kちゃんに会うチャンスがあったら
その時は、ベトナム語で彼女の名前を呼びたい。
そしてベトナム語で自己紹介をするのだ。
あなたの国の言葉、少しわかるよって。