「楽しい思い出をたくさん作りましょう!」
私はこの言葉に、昔からすごい違和感を覚えていた。
何かをやっている時の「いい思い出になるね」も
「思い出いっぱいの旅行にしようね」も、
私は気持ち悪さを感じてしまう。
それは、“思い出を作るために” それをするみたいだから。
でも思い出って、本来そういうものじゃない。
体中でその場を感じて、相手と心で向き合って
本当に楽しい時間を過ごして――またはいろんな思いをして
結果としてそれが思い出になる。
(そこで過ごす時間は楽しいばかりじゃないかもしれないけれど、
もちろんそれはそれでOKだ。)
思い出というのは結果としてもたらされるものであって、
思い出を作るために何かをするものではない。
と、私は思っている。
それはまるで、海外旅行に行って観光スポットで
「あったあった、あれあれ!写真撮ろう!はい、チーズ♪はい、じゃあ移動しよう~」
という、アレだ。
そういう旅行が好きな方はいらっしゃるだろうし、
それが良くないとはもちろん言わない。
でもそれはまるで、そこに行ったという証拠写真を残すためだけの行為だ。
イコール、思い出(?)を残している…ということ??と、予想している。
でもそこにあるものを自分の五感をフル活用して感じないで、
そこに行くことに意味はあるのか。
少なくとも、私にとっては、ない。
まぁそれは、個人差のあることだろうから議論するつもりはないのだけれど。
さて。
昨年の夏、ロシアからの学生が我家にホームステイに来た。
対面式で、日本側の挨拶を担当されたお偉いさん(?)が
「たくさん思い出を作ってください」と仰った。
それに対して、ロシア人通訳さんはとても困ったという。
何故か。
「ロシア語に『思い出をつくる』という言葉はないんですよ。
だって、思い出って作るものじゃないでしょう?
結果として思い出になるものだから」
ほら、やっぱりーーーっ!!
何とか伝えようと訳したけど、難しかった…と彼は話してくれた。
私の疑問が、ロシア語によって認められた瞬間だった。