こんにちは^^すずちんです。

 

 

読者の皆様は覚えているでしょうか?

 

 

すずちんのブログ史上、最も話題を呼んだ高学歴コンプレックスの記事を……。


 

ちょうど一年くらい前に書いた記事なのですが……

 

 

最近、またこの件に関して自分の中で新しい発見がありましたので、このブログに書き留めておこうと思います

 

 

★知らない人は以下の記事をまず読んでみてね^^

①高学歴コンプレックス

②高学歴コンプレックス~凡人と天才について~

 

 

私は一年前、高学歴コンプレックスの気づきがあってから

 

 

自分って実は結構すごいんじゃない?って

天才じゃないけど、なかなかすごい(超人)よねって

 

 

ほんとうに少しずつですが

自分の頭の良さを認められるようになりました。

 

 

(まぁ、本当の天才を目の当たりにしているので、まだ引け目を感じることもありますが……笑)

 

 

 

でも、地頭の良さとは別に

 

薬学部時代の自分を支えてくれていた「コツコツと努力できる才能」に関しては

 

 

ぶっちゃけ、あまり嬉しくないというか

そんなに自分の自信を底上げしてくれるようなものではなかったんです。

 

 

 

だって

 

 

「努力できることがすごい」

「努力を継続できることがすごい」

 

 

って

 

 

なんか、ぶっちゃけダサくないか?って。

 

 

天才に対する凡人の負け惜しみぐらいにしか思えなくて

 

 

「天才には勝てないけど、うちらは努力できるもん!!」って

 

自分が持ってるスペックの低いカードで、必死に天才の横に並ぼうとしてる気がして、さ。

 

(世の中には努力もできて頭もいい人間だって存在するのにね。笑)

 

 

だから自分の中の

「コツコツと努力を継続して積み上げる」という才能に関しては

 

 

一応メリットはあるけど……そんな自慢するようなモンじゃねーわって。

 

 

隠してはいなかったけど、誇れるような存在では全くなかったんです。

 

 

 

でも……

 

ついこの前大学の同期メンバーと、旅行に行きまして。

 

(無事国家試験は終わりました!見守ってくださった方々、ありがとうございます!)

 

 

 

夜、親友と語り明かしたんです。

 

大学生活のこととか、私が辞めた経緯の詳細とか。

 

 

 

 

そしたら、その親友が

 

「すずちんの、真っ直ぐに努力できるその姿勢は、才能だよ」って、言ったんです。

 

 

 

で、そのあと

 

「普通の人はやろうと思ってもできないんだよ!!」

 

 

 と力説されて

 

 

 

え?普通の人はやろうとしてもできないんだ

 

って、素直にびっくりしたんです。笑

 

 

 

私は薬学部時代

毎日、毎日、行きと帰りの通勤電車の中でノートを開いて

限られた時間の中で薬学の知識を頭に叩き込んで

 

(片道2時間半だったので、家で勉強する時間はとれない)

 

 

間に合わない分は、大学が休みだった日曜日に

家で朝から晩までやって。

 

 

それが当たり前でした。

 

 

そりゃあ、勉強尽くしの生活はしんどかったけど

 

 

『やるしかないよな。

だったらやろう、やり続けよう』

 

そんな気持ちがいつも根底にあって

自分を突き動かしてくれていました。

 

 

 

 

だから

 

やろうとしてもできないんだよって言われて

 

「え?やればいいんじゃないの?って思っちゃうんだけど(笑)」

 

って、親友に答えていましたww

 

 

 

長嶋茂雄さんの「来た球を打て!」的なのと同じで

「やりたいならやればいいじゃん」としか思えない(笑)

 

(あとで苦労するのが分かってるのなら今やれよ、と

薬学部時代は思ってましたねww←ストイックすぎて怖いわ)

 

 

 

……で、そこでようやく

 

「あ、私の努力できるという才能は、本当に才能なんだ」って

 

腑に落ちたんです。

 

 

だって

 

他の人ができないなんて、思いもよらなかったから。

 

 

「努力できる」「その努力を継続する」というのは

私にとって当たり前の中の当たり前で

 

(まさに当たり前体操w)

 

 

みんなもできるんだと思ってた。

できるけどやらないだけなのかなって。

 

 

 

でも本当の本当は

 

他の人にはできないことを

私は当たり前にできてしまう

 

っていうのが真実でした。

 

 

 

 

 

それに気づいたとき

 

あぁ、私にもちゃんと神様からのギフトがあったんだって

 

胸が熱くなりました。

 

 

私の大学の親友は全部で3人いるんですが

 

ひとりは、とっても頭が良くて

(私にとって彼は天才という位置づけ)

 

ひとりは、とってもとっても紳士的で優しくて

(しかもそれを無理してやってる感じが一切ない。周りへの気遣いや他人の心を配慮するのが抜群にうまい)

 

ひとりは、並外れた美貌を持っていて

(しかも性格もめっちゃいい。ずるいw)

 

 

みんなそれぞれ、神様から与えられた「才能」という名のギフトがあるのに

 

なんで私にはないんだろうって、ずっと思ってました。

 

 

 

でも、ちゃんとあった。

あったけど、当たり前すぎて気づけなかっただけで。

 

 

 

……で

 

世の中の縮図って、これと同じなのかも、と思いました。

 

 

自分にはないものを持っている他人を羨んで

 

自分がその人と比べて何もないことに落ち込んで、劣等感に押し潰れそうになって

 

 

……でも、本当は

 

 

自分もその憧れる他人と同等の素晴らしいギフトがあるのに

他人はそれをとても羨ましく思っているのに

 

 

そのギフトに、自分自身は気付くことができない。

 

 

なぜなら、そのギフトは

 

「息をするように当たり前にできてしまうこと」だから。

 

 

植物に擬態する昆虫と同じように

違和感なんか全くなく、身体と心に馴染んでしまっている。

 

 

 

だから

 

自分の身体や心を

目を凝らして観察しても

ギフトの存在には、気づけません。

 

 

他人に教えてもらうしかないんです。

 

 

神様があなたに与えたギフトを。

 

 

それが、どれだけ素晴らしい才能なのか

それが、どれだけ他人が羨むものなのか

それが、どれだけ尊く、多くの人に幸せや勇気を与えることなのか。

 

 

 

 

今回の旅行で

自分のギフトに気付けて本当に良かった。

 

 

 

これから「努力できる天才」として

自分自身を誇りに、胸を張って生きていきます^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薬学部時代の成績表

 

どうだ!!!!すごいだろ~!笑