鉢の木物語(はちのきものがたり)  (パート2) |  ガチャガチャ おもちゃ箱
建長(けんちょう)5年(1253年)のはじめ、大雪が降り続く日の夕暮れ近くに、一夜の宿をと佐野源左衛門常世(さのげんざえもんつねよ)の家の軒下に立った僧侶がありました。
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常世夫婦は親切に迎えて、囲炉裏端に招き、作り立ての粟粥をさしあげました。
すっかり暖まり落ち着いた僧侶が辺りを見回すと、古びた家の中には、槍や鎧兜が置かれていました。僧侶は、夫妻の言葉使いや立ち振る舞いからも、武士が何か分け合っての仮住まいであろうと思いました。
そこで僧侶は、「さし使え無ければ、お名前と訳をお聞かせ願いたい。」と尋ねましたが、常世は「申し上げるほどの者では御座いません。」と口を噤みました。
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そのとき、僧侶の為に普段の2倍の量を火にくべてしまったので、薪が無くなってしまいました。すると常世は、梅、松、桜のいずれも立派な鉢植えを折って火にくべました。
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それを見た僧侶は驚き、すぐに止めようとしましたが、「いや、お恥ずかしい次第です。せめてこれだけでも暖まって頂いて、お休みして頂こうと存じます。」と答えました。
僧侶は益々感心して、ぜひお名前だけでもと尋ねました。常世は隠し切れずに、自分の事を話しました。
そして、「私も鎌倉武士の子。幕府に一大事が起こった時は、ただちにはせ参じ、命懸けで使える覚悟で御座います。」と語りました。僧侶は、自分が執権・北条時頼であるとは明かしませんでした。
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僧侶は翌朝、常世夫妻に、何度もお礼を言った後、また旅立って行きました。
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その年の秋に、鎌倉に一大事が起きたとのウワサを聞きつけた常世は、時こそいたれりと鎧兜に身を固め、痩せ馬に鞭打って、勇ましく駆けつけました。
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するとそこには、あの時の僧侶・時頼公が待っていました。「ワシは、何時ぞやの大雪の日、そちの家で厄介になった僧侶である。あの時の言葉道理、良く駆け付けてくれた。」とお褒めの言葉を頂きました。
そして、常世は下野(今の栃木県)の三十六か郷をいただきました。また、あの雪の日に薪にした松・桜・梅にちなみ、上州松井田の庄、越中桜井の庄、加賀の梅田の庄の3つを与えられ、6万3千石の大名に取り立てられ小田原城を賜ったのでした。
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常世の墓は、佐野市鉢木町(はちのきちょう)にある願成寺(がんじょうじ)で、今も大切に供養されています。
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