いわゆる「伝統」について | Kotenjiのブログ

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後天時代の本当の意味と価値を理解し、ふさわしい生き方をしたい。
正午定着、影のない時代と言われているが...

世の中に「伝統」と呼ばれるものはたくさんありますが、長い歴史を生き残ってきた古い「伝統」というものは、基本的には「よいもの」であったからこそ生き残ってこられたのであり、一般的に言って、そこには、様々な相違を超えて、何らかの美しい心とその心の表現である美しい形があるように思います。いわゆる「統一家の伝統」について最近考えさせられていますが、統一運動の歴史がすべて予定どおりに順調に運んでおれば、今頃は統一の美しい伝統は、私たちの喜びと誇りになっただけでなく万民の喜びと誇りになっていたかもしれません。

 

しかし、この運動がいろいろ紆余曲折を経ていく中で、いわゆる「統一家の伝統」の中にあった(あるいは、陰に隠れていた)悪い要素が次第に実を結ぶようになり、現在私たちがおおまかに「統一家の伝統」と呼んでいるものの中で、一体どれがよいものでどれが悪いものかということをはっきりと見分けることが非常に難しくなっていると思います。

 

そういう中で、いかに良いもののみを守り育てていくかということが関わった者全員に投げかけられている挑戦ではないかと思います。

 

そういう意味では、人為を超えたところで背後の原動力と動機になっている神様の動機と願いを理解することを第一とし、そのためには陳腐な言い方かもしれませんが、周りの人の言動以上にまずは自分自身が良心を磨いて神様の願いに一致することを最優先していくことが重要だと思います。

 

そしてその上で自分の頭で考え、自分がこれは残すべき伝統だと納得したものを実践して残してゆけばよいし、それを家族が皆合意して、同じ心で尊重していけるならさらに有難いことだと思います。

 

特に私たちの共通した挑戦は、ある意味で私たちの存在にとってはキーワードとも言うべき「祝福」というものに対しどのように理解していくかという点ではないでしょうか。そこで、これに対して、誰かからの受け売りでなく、私と家族がともに納得し、その理解を共有できるようなしっかりした理解の仕方を確立し、それを守り育てていくことが、少なくとも私個人と私の家庭にとっては最も真剣に取り組まざるを得ない今年の挑戦であると感じています。

 

ともかく今の時代、世の中の誰が何と言おうと、正しいものは残り、間違ったものは消えていく時代だと思いますので。


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