瞬殺  | 子ども1号2号と夫とわたし

子ども1号2号と夫とわたし

私大理系4年生①号と附属上がりの私大文系1年生②号との生活をメインに。

パパは、ママ孝行を開始!
地方で国立小のお受験して、東京で中学受験して、ついに最後の大学受験・内部進学まで来ました。

昨日のを書いて思い出した、素晴らしき接客。

昔噺と私感ですニヤニヤ




一番初めに感じた瞬殺・接客は、おひとり様で行った帝国ホテルの本館一階 喫茶「ユリーカ」

現在は、オールデイダイニング「パークサイドダイナー」となっている。




小さい頃、数ヶ月おきに帝国ホテルやホテルニューオータニ、ホテルオークラで、上顧客用の催しがあった。

祖母とのお出かけの日は、ヨシノヤの革靴とファミリアのワンピースが定番。

三つ折りの靴下はときどきレースの付いたものになったが、中学生になっても変わらなかった。

​今でもあるんだ!

この型かアンクルストラップのを、交互に母が買っていた。



大叔母の君代さんや母の従姉妹と待ち合わせ、お昼を一緒したり、粗品のハンカチを引き換えて来たり。ブランド品のハンカチを頂け、中学生になってからこれが重宝したのデレデレ

喫茶のチケットがある時は、地下の催し会場内でお茶だけれど、無いと喫茶に行ける音譜


特に記憶にある「さいくる」は、壁一面に競技している?自転車数台が描かれていた。

調べたら中学生の頃。

絵と店名がリンクして、記憶に残ったのかな?

「さいくる」になる前から、1ドル銀貨パンケーキ(5センチほどの小さなパンケーキが数枚)が好きで。


ニューオータニなら、2階の渡り廊下?にあった喫茶で、クレープ・シュゼットオレンジ

フランベされ、バニラアイス添えの温かいのに冷たいクレープが祖母との思い出。



社会人になって、おひとり様で伺った時…  瞬殺✨

それは、「さいくる」が「ユリーカ」に変わった頃。

なぜか忘れたけれど、本を片手にミルクティーと例のパンケーキを頂いた。

私が飲み干したカップをソーサーに置いて、ほんの少しするとボーイさんが注ぎに来てくれる。

このが絶妙。


きっと飲む時のカップの角度を見て、

お父さん「あっ、飲みきったぞ」

と、観察していたに違いない。

これがいつ行っても、必ず同じサービスだから教育が行き届いている証拠だろう。


ある時は、背広姿のおじさまがして下さった。

会話をし、お名刺を頂戴した。

ちょっとお偉いさんが、様子見にいらしていたようで滝汗あせる 肩書きがね…

店長さんぐらいかと思って、小さい頃からここのファンで、何よりお代わりのサーブが素晴らしいと、生意気なお話をしてしまったあせる

おじさまは、非常に喜んで下さった。

クレームはあっても、なかなかお褒めの言葉を頂けない、と。



きっとあのサービスは、続いているはず。

ティファニーのお兄さんも、動く人の首元の、小さなモチーフを見逃さない姿勢。

いいわぁ〜飛び出すハート



ミキモトさんも、20代だろう若いお兄さんだったけれど、心意気が素晴らしい笑

昨年、二連のチョーカーを持って行って、サイズを変えて欲しいと相談した。


若い頃より太くなりニヤニヤ、歳も重ねたのでぴったりとしたチョーカーを緩くしたかった。

そして、二連の外側と内側の間をなくすようにしたい。


が!


お父さん「見させていただいた所、このままがよろしいかと思います。

二連の間も、お首に沿わせて微妙な調整ですから…。」

息子のような歳の店員さんに、ミキモトの作り手の気持ちを諭された感じよ。


そして、新作のイヤリングを試着させられ、鏡の中の調整不要のチョーカーを見た。

う、上手いおいでニヤニヤ 買わないけどね


ちなみに糸替えは、永年無料飛び出すハート



時々出会える素敵な店員さんの瞬殺✨

次はいつかな?