はじめに
今から8年前、
現在13歳(中1)の娘ノンが
年長のときの話です。
病名:PANDAS(パンダス)
小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害
↑google translate の自動翻訳が便利
なお、今から2年前(小5)に
再発したときのことは
すでに記事にしました。
同じテーマの中にあります。
前回の続き
町角小児科の紹介状を持って
〇×病院の副山先生を受診
地域の医療を担う総合病院の
小児科部長もご存じなかった。
「まず、他に原因がないか
一通り検査をしましょう」
・採血
・レントゲン
・MRI
そして、溶連菌検査
ところで
その頃のノンは、不安がどんどん増幅し
家から外へ出るのも一苦労でした。
病院という異空間で
白衣の怪しい人たち(←ノン視点)に囲まれ
不気味な機器を用いた検査の数々。
どんなに怖かったか分かりません(><)
恐怖におののきながらも
なんとか乗り切りました。
その結果
・溶連菌→陽性
・血液検査
→ASO基準値以上(632)
・その他異常なし
ASO値が高いのも、
溶連菌感染の特徴らしい。
ふり返ってみると、これが
PANDAS治療の第一歩でした。
抗生剤を服用して、徐々に
大きな不安を訴えることはなくなり、
それでも溶連菌はなかなか陰性にならず
2か月後に初めて陰性となりました。
保育園の出席帳を引っ張り出してみると
11月からは、お休みシールばかりだったのが
2月のページには3つだけ出席シールが…
ノンの生活が少しずつ、でも確実に
元に戻り始めた証。
抗生剤治療を始めてから
すでに約3か月が経っていました。
そして迎えた3月、卒園式。
年長の1年間は、4月初日の発熱に始まり
チック→不安→不登園と、しんどい日々。
楽しい思い出はほぼないけれど
なんとか卒園式に出席できた、
それだけで涙があふれる母でした。
本人はケロッとしてましたが(^^;)
そして、4月には
小学校入学 ヾ(*´∀`*)ノ
家の押し入れにこもって
不安に震えていたノンが、
通学班でお姉ちゃんたちと
一緒に登校できる日が来るなんて!
それもこれも、副山先生、
そして副山先生を紹介してくださった
町角先生のおかげです。
どちらにも共通して言えるのは、
奇妙奇天烈な病気を訴える母親を
頭ごなしに否定せずに、
また「はっ!?パンダの複数形かよ」
とも突っ込まずに (笑)
耳を傾けてくださったこと。
PANDASと診断されたことで
(正しくは、治療してみたらどうやら
PANDASだったね、という結果論)
今、ようやくスタート地点に立ちました。
病気の性質上、完治というわけにはいかず
溶連菌暴露によって再発を繰り返します。
ここから、ながーーーいPANDASとの
付き合いが始まりますが
副山先生と出会えたおかげで
前向きに治療に取り組むことができました。
昨年3月に〇×病院を退職されるまで
7年間、副山先生にはお世話になりました。
先生には感謝しかありませんm(__)m
以上
「PANDASと診断されるまで」シリーズ
全7回、終了です!
お読みいただきありがとうございました。
PANDASについては
いろんな医師の見解、反応があります。
次回、番外編で