ようやく治療のスタート地点に立った!~PANDASと診断されるまで⑦~ | ノン・リン・ニョロ子の「のんほい日記」

ノン・リン・ニョロ子の「のんほい日記」

ほどほどに仲良し三姉妹と、
まずまずの仲の両親との5人で、
毎日そこそこ楽しく暮らしてます♪

 

はじめに

今から8年前、

現在13歳(中1)の娘ノンが

年長のときの話です。

 

病名:PANDAS(パンダス)

小児自己免疫性溶連菌関連性精神神経障害

↑google translate の自動翻訳が便利

 

なお、今から2年前(小5)に

再発したときのことは

すでに記事にしました。

同じテーマの中にあります。

 

前回の続き

 

町角小児科の紹介状を持って

〇×病院の副山先生を受診

 

image

地域の医療を担う総合病院の

小児科部長もご存じなかった。

 

「まず、他に原因がないか

一通り検査をしましょう」

 

・採血

・レントゲン

・MRI

そして、溶連菌検査

 

ところで

その頃のノンは、不安がどんどん増幅し

家から外へ出るのも一苦労でした。

image

 

病院という異空間で

白衣の怪しい人たち(←ノン視点)に囲まれ

不気味な機器を用いた検査の数々。

 

どんなに怖かったか分かりません(><)

 

恐怖におののきながらも

なんとか乗り切りました。

 

その結果

・溶連菌→陽性

・血液検査

 →ASO基準値以上(632)

・その他異常なし

 

ASO値が高いのも、

溶連菌感染の特徴らしい。

 

image

 

ふり返ってみると、これが

PANDAS治療の第一歩でした。

 

抗生剤を服用して、徐々に

大きな不安を訴えることはなくなり、

それでも溶連菌はなかなか陰性にならず

2か月後に初めて陰性となりました。

 

 

保育園の出席帳を引っ張り出してみると

 

11月からは、お休みシールばかりだったのが

2月のページには3つだけ出席シールが…

 

ノンの生活が少しずつ、でも確実に

元に戻り始めた証。

 

抗生剤治療を始めてから

すでに約3か月が経っていました。

 

そして迎えた3月、卒園式。

年長の1年間は、4月初日の発熱に始まり

チック→不安→不登園と、しんどい日々。

楽しい思い出はほぼないけれど

なんとか卒園式に出席できた、

それだけで涙があふれる母でした。

 

本人はケロッとしてましたが(^^;)

 

そして、4月には

小学校入学 ヾ(*´∀`*)ノ

 

家の押し入れにこもって

不安に震えていたノンが、

通学班でお姉ちゃんたちと

一緒に登校できる日が来るなんて!

 

それもこれも、副山先生、

そして副山先生を紹介してくださった

町角先生のおかげです。

 

どちらにも共通して言えるのは、

奇妙奇天烈な病気を訴える母親を

頭ごなしに否定せずに、

また「はっ!?パンダの複数形かよ」

とも突っ込まずに (笑)

耳を傾けてくださったこと。

 

PANDASと診断されたことで

(正しくは、治療してみたらどうやら

PANDASだったね、という結果論)

今、ようやくスタート地点に立ちました。

 

病気の性質上、完治というわけにはいかず

溶連菌暴露によって再発を繰り返します。

 

ここから、ながーーーいPANDASとの

付き合いが始まりますが

副山先生と出会えたおかげで

前向きに治療に取り組むことができました。

 

昨年3月に〇×病院を退職されるまで

7年間、副山先生にはお世話になりました。

先生には感謝しかありませんm(__)m

 

 

以上

「PANDASと診断されるまで」シリーズ

全7回、終了です!

お読みいただきありがとうございました。

 

PANDASについては

いろんな医師の見解、反応があります。

 

次回、番外編で