10)ミュージカル | 俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
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恩師小井戸秀宅先生のお名前は私が書くものに出しても良いとして許可をもらっています。別名で書いてネットにあげている自叙伝にもお名前をだしていますが、このような告白に他の方のお名前など出してよいものかわかりませんので書きませんが、

有名演出家の3大ミュージカルになっていく一回目のオペラミュージカル(商業演劇)にある役で出演することになりました。その役は主要な役ではないものの演出家がこだわってらっしゃって、中々決まらなかったらしく、私に決まった時にはすでにお稽古も始り、テレビでも作品を宣伝している状態の時でした。

演出助手の方にギャラが安くてごめんね、、、などといわれましたが、委託した事務所に何割か引かれた後でも私にとって一桁上のギャラであり、アルバイトで食いつないでいた私にとって一息つける金額でした。

 

父からの電話攻撃は悪化していました。

ここには書けないほどの手口。。お稽古に入り始めた私は影響が出るから勘弁してほしいと父に頼んだ。。すると。。

「お前なんかにそんなギャラでそんな役が来る訳が無い。きっと罠がある筈だ。お前は芸能界の怖さを知らなすぎる。断ってしまえ。」でした。

しばらくすると。。Kさんが色々調べたらしく

「頑張ってね。」と言われた。

父とKさんが観に来ました。

楽屋にも来て、

「環さん。あなた苦労したでしょ。よくここまで這いあがってきたわね。死んだママが喜んでるわよ。これからは事務所を探しなさい。委託ではだめよ。」とKさん。

父も

「ちゃんと演技してるじゃないか。大したもんだ。」と珍しく私を褒めた。

しかし、翌日の電話では

「俺がパワーを送っていたからあの役が来たんだ。俺の愛人になれ。そしたら事務所探しも手伝ってやる。」だった。。

 

父が観に来たことで舞台監督さんからあの俳優さんと知り合いなの?と聞かれ、「父です。」と言うと、「なんだお父さんだったの?何でもっと早く言わないの。。お父さんには明治座の時よくしてもらったんだよ。」

又、出演していた俳優さんは父と2時間ドラマなんかでも共演していて、

「お父さんの領域に近づいてるんだね。」等言われる。。。

私は父に邪魔をされたことはあっても父の恩恵は一度も受けたことは無い。これからも受けるつもりもない。。

家に帰ると留守番電話の父の声。。父の厭らしい話。。

私は半ノイローゼだった。

千秋楽を迎え、しばらくすると共演と言っても舞台上で接点は無く、

二幕から登場する大物舞台俳優さん。神棚の側で私は影コーラスで待機していました。その神棚に手を合わせてらっしゃるときにいつの間にかじゃれて遊ぶようになっていった。。と言うだけの接点でしたが、その方のマネージャーさんから電話がありました。「実は又あなたと共演したがっていて、役が決まるまではあなたに期待だけさせてはいけないから決まったらあなたに知らせるように言われていました。」

聞けば、何度も再演されている東〇ミュージカルで私の為に役をとったから大阪公演から合流してほしい。。また会えるのを楽しみにしています。。とのことでした。

 

私は咄嗟に断りました。ほかに仕事が入っているからと。。。

父とは無縁のところで生きなおしたい。。しかし、、母の遺言が。。と気持ちは揺れていましたが、おそらく、心が疲弊していたと思います。。

代ってコルドンブルーでダンサーとしてでなくシンガーとして仕事が舞い込んできました。1か月はメインのゲストさんが居てサブシンガーですが、もう一か月はゲストなし、オールゲストと銘打ちながら私がメインシンガーの仕事。。

ある日私が歌っていると、今はなくなってしまった会社ですが、商業演劇の企画会社としては結構大手の会社でタレントさんも抱える事務所の社長が恩師と知り合いで、私が歌っている時にコルドンにわざわざ観に来てくださって、恩師と二人舞台上の私に手を振ってらした。。

 

続く。。