9)スピリチュアルの怖さ。 | 俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
リンクフリーではありません。出典も転載も不可。

コルドンブルーに出演することが決まり急いでレッスンしなければならなくなりました。断ったんですよ。ショーを観てとても無理だと思ったから。そしたらコリオグラファーの小井戸秀宅先生が「面白いこと言うね。僕が育てるからやりなさい。決まり!」って言い出し、コルドンのゲストの常連でもある女優さんも居て。二人で勝手に私の名前を決めだして、麻酔とお酒でモヤモヤしたまま結局決まったような感じで帰ることになりました。で、2か月後にはもう舞台で立っていました。レッスンの時先生に言われた。

「ダメだと思っちゃいけないんだ。出来るんだと思ったら上手く見えるんだよ。3月からはダンサーだからね。逃げちゃだめだよ。マイコはキレイだから大丈夫。」実は名前は「麻衣」に決まっていました。しかし、恩師だけは私の事を「マイコ」と、今でも呼んでいます。しかも、文字は「舞子」でスマホにいれているみたいですがね。。

出演して数か月。。思い出しもしないくらい体の「嫌な感触」は消えていました。それによって自分を大切にしようと思えるようになった。今考えると自分は汚いと泥の上塗りをするような生活。そして20歳の時までに父に言われたとおり、「ダメな人間」の一丁上がりだった私の深層心理に効く言葉を恩師から貰っていたのだと思いました。

 

父はその頃、「精神世界」(のちにスピリチュアルと言うようになる)の勉強を始めたようです。赤坂のTBSの前で偶然Kさんに会って、Kさんの取り計らいで親子関係が復活しました。Kさんにすべてを話すべきか迷ったんですよ。でも、どうして私は逃げなかったのか?その説明が付きませんでした。それに虐待という言葉も概念も無い時代でした。完全に父を信じ切って私に「昔の事は問わないわ。」と言っているKさんに論理的に説明など出来ない。それなのにKさんを傷つけるわけにはいかないと思いました。Kさんが若くして亡くなってしまうことなどこの時は想像できなかったですから。。今になって本当の事を話して父とKさんを引き離していればKさんはまだ生きていたのかもしれないような気がします。。Kさんは最初の医師(私の実家近くの病院)から痔だから検査の必要は無いと言われ、結果大腸がんに実はかかっていた。。という事を父から聞きましたので。。。。父と一緒になっていなければ別の病院の医師とのご縁があった筈です。

たら。。れば。。の話ですが。。

 

この時、私は後に夫となる人と共に暮らしていました。

そして4人で臭いものに蓋をした交流がはじまりました。

父とKさんは私たちのマンションに来て、いきなり土下座をして謝りました。

「環の教育を間違えた。」と。。。

Kさんは「素敵なパパじゃないの。」と言い、彼もまた「良いお父さんだな。」と言った。

「俺を憎むな俺を憎めば自分をも憎むことになる将来、子供も憎むことになる。」

父はそのようにも言った。

なんとなく流れに逆らえないような気もしました。

考えても仕方ないし、悩んでも答えは出ないな。と思って後ろを振り返るのはやめました。

父はバシャールという本を勧めてきて、何ページの○○。。はこういう事だ。。というように講釈までするようになっていった。

 

私の体には再び異変が始まりだしました。。

今も抱えている問題です。

睡眠時遊行摂食障害。

当時は自分が怠け者なのだと自分で自分を追い込んでいました。

ダンサーですから太るわけにはいかないのにお休みの期間に太ってしまいます。だからダイエットをする。。すると夜中に私は寝ているというのに食べ物をあさり、尋常じゃない量を食べてしまうのです。満腹中枢は起きていませんから。夢遊病のように起きてないのに起きて動いて食べまくるのです。

 

朝起きて指を突っ込んで吐くだけでは間に合いません。

便秘でもないのにずっと下剤をのんでました。。

「ベクニス」という薬です。だからすぐにお腹が壊れる。。壊れるのに下剤をのむのをやめられませんでした。当時江戸川橋に住んでいました。飯田橋にエグザスというスポーツジムが出来て、朝から午後まで3クラスほどエアロビクスを受けて合間にサウナに入って。家に帰って支度して楽屋に入って夜中まで。。3ステージ。。帰宅し、又朝からスポーツジムに行って。。

一番ひどい時は食べ物は寝ている間だけ。。起きてる間は食べてないときもあったくらいです。摂食障害は拒食症。当時情報が無いので私は自分に起きていることを摂食障害などと思いもしませんでした。

 

さて、スピリチュアル。。。

 

起こる事は必然だ。。

好きな事をすれば上手くいく。

わくわくしなさい。

過去を忘れて前を向く。。

 

コルドンブルーで私は時々歌を歌う様になっていった。

すると、父のスピリチュアル熱はどんどんヒートアップしていきました。

そして再び「ママの遺言」の話になっていく。。

洗脳という言葉が世に出る前の洗脳が始まっていったのだと思う。そして滔々、私と彼が結婚したものの離婚するとなった段階で再び父は牙をむきました。

 

「俺の愛人になれ。親子だからバレない。Kさんは実家に帰ってもらう。離婚するなら帰ってこい。」でした。。

 

父はスピリチュアルに出会い、自分のしたことは間違いではなかったという風にかんがえていたようです。

土下座までして謝ったものの、

抽象的表現のスピリチュアルはいかようにも解釈できます。

「あなたのやりたいことをやりなさい。それがワクワクするものであれば、ひいてはそうすることであなたの大事な家族の為にもなる。」

こういった論理で父が私にしたことは正しかったのだと理解し、遺言を持ち出し、私を洗脳しようとしていたのだと思う。

たとえ洗脳が無意識であっても。。

色々言われても今度こそ拒否し続けましたが、

言われて一番堪えるのが母の遺言だった。

目の前で日々薄れていく生命力の母が途切れ途切れ渾身の力を込めて発した言葉ですから。

 

コルドンブルー引退の最後の月。。離婚問題も勃発している中、私にデビューの話まで舞い込んできました。

しかし、それが半年ほどでとん挫した時は父の勢いもすごかった。

「俺の要求をのまないからそんな有様だ。」と。。

実家はあてにならない。犬二匹抱え別居から離婚。仕事は???

ダンス力の無いダンサーは無職同然。。

途方にくれました。。

それでも何とか生き抜こうと右往左往。。

で、色々あったけれど、ミュージカル出演までたどり着いた。。

 

続く。。