7)本当の恥♯2 | 俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
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〇にキレない私は誰かに手伝ってもらいたくなりました。明確にそう思っていたか?と言えば曖昧だけれど、

 

 

父は私の様子がおかくなり、キリでピアノに文字を掘り続けたことでかなり疲弊しているようだった。一度私に

「もう、環を傷つけることはしない」と言ってきた時、渾身の力を込めて叫びました。そして

「私はダメな人間だから歌はもうやめる。」とだけ言って

その後もこれ以上掘るところがないほど文字をひたすら掘り続けました。愈々掘るところもなくなり、

「精神科に行ってくる」と言うと父は引き留めた。当時の医療についてあまりいい噂は聞いていなかった。私は病院へは行かず、求人誌を買って面接を受ける段取りをしました。立ち直ろうともがいていたと思う。しかし、どうしても体に残る汚らわしさが消えない。

私は再び浄化の儀式に手を染めることになります。

どんな形であれ、この命、亡くなるなら亡くなってしまえばいいと思った。もはや隠すつもりもなく外泊はおおっぴらにしていた。

そんな矢先4人にレ〇プされることになってしまいました。しかし、全く傷つかなかった。むしろ体に残る嫌な感触が完全に消えたのです。その直後、丁度一年遅れで鍼灸の専門学校に通う事になりました。

ある俳優さんの奥様が東洋医学に興味を持っておられ勧めてくれたようです。私は母の遺言の裏切り者だから母もお世話になっていた鍼灸の勉強をすることで許してもらいたい。そんな風にも思いました。しかし、二年目の学費100万円以上と実家にいる間、の自分の食費。それに加えて台所と風呂を使う事を禁止され朝の洗面だけ使う事を許可されました。毎月いくら稼げば良いのやら。、自炊出来ない食費と銭湯代、通学費、教材費(これは1年目の分か1年で10万円ほど、)父はベンツを乗り回しているというのに。。

私は、2年目の学費が払えなくなった時に又地獄の日々がやってくるような気がした。

結局私は1年でこの専門学校をやめることになります。20歳の成人式。経済制裁をうけているのに振袖なんて望める筈もなく、又そういった会場にいくのも自分には似合っていない気がした。成人式の当日を引っ越しの日と決めてそれが私が大人になる事だと思い込んだ。

その後色々あったのだけれど。。それを書きだすととにかく長い。。

だから省略します。

私の大罪は。。その後浄化の儀式が酷くなり、滔々それでは気が済まなくなって自分の子宮を壊したいと思うようになって実行した事です。

 

さて、恋もしました。しかし相手に自分の状況を打ち明けたいのに上手く言えず、そのうち4人からのレ〇プ以来消えていた感触が再び戻り、彼に暴言を吐いて相手を傷つけ別れた。

もう一つの恋は最初からダメでした。だから妊娠するように仕向けた。

でも、妊娠を知ると急に生みたくなったんです。でも、男は逃げた。ならば最初の計画通り自分の体に最大のダメージを与えなければ気が済まなくなりました。そして仕事も休みマンションに引きこもった。11階の窓の柵に何度か足をかけた。すると2度目の時の「助けて」という自分の声が聞こえてくる気がする。

私は産みたいという気持ちと、自分を傷つける為にしでかした後悔でうちひしがれながらも、気づけばお腹の子に向かってごめんねと謝る日もあれば、まるで父が私に吐いた暴言のように、汚い言葉で「お前を〇ろすのが目的なんだ!」と笑いながら言う日もあった。

勤めていたお店のママが実は私にダンサーのスカウトの話があり、私には内緒にしていたらしく、しかし、家に引きこもるなら気晴らしにダンサーになりなさい。と声をかけてくれました。

それで決心がついた。中絶は年末ぎりぎりまで粘りました。もう年が明けたら5か月だった。

予期せぬ妊娠に仕方なく子供を諦めるのとはわけが違う。新生児は生後に人として法律で守られるのが日本の場合であって、生命の誕生はいつからか?といった考え方は国によって違う。私の取った行動(中絶)は日本において法律違反にはならないけれど、そこに至るまでのプロセスは私の場合、生命の冒涜です。

娘の私を所有物にした父。そして私は胎児を所有物にしたのです。

私はこうやって書いたり言ったりできるというのに私は私の胎児にそれすら許さなかった。そして最後は自分が浮上するために葬ったことになります。双子でした。2つの生命を私は確信犯として犠牲にしたのです。

まさにあの親にしてこの子という大罪です。

 

父はこの私の確信犯的行動は知りません。

魂があればこの世を去ってから知ったことにはなりますが。。

私も連鎖させているのですよ。このことにきちんと向き合い気づくことができたのは、父の介護に行ってからです。

 

被害者はああされた。こうされた。。に捉われがちですが、

この被害者は結構な事を後遺症のようにやらかします。

元々の性格が外交的な人ほど陥りやすい現象ですので。。全員というわけではないですが。。としておきます。

私が己の罪に気づくためのステップとして心の歪みを矯正することというのが大前提です。

 

私は自分を傷つけ切りました。コルドンブルーの小井戸先生との出会い。私は酒と麻酔と香水でもうろうとした状態でした。

その日の午前、中絶していたのですから。

前日3時まで酒を飲み、ほとんど寝ず酔ったまま病院へ行き、

ほとんど麻酔も使えず痛みで気絶するように処置され吐いて目が覚め、痛みが残るままもっと休めという医師に怒鳴り散らしながら友人宅へ行き、再び飲酒。自宅に戻り玄関のたたきの所で意識は絶え・顔合わせはすっぽかそうと思いつつ、午後6時に目が覚め、化粧でぐちゃぐちゃの顔を洗いながら風呂に入り、タクシー飛ばして夜7時半には赤坂にいました。

 

 

疲れたのでこの辺で。続く