3)ある映画を何度も観た理由 | 俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
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端的に言えば、フラッシュバックするためです。今は心理学を学んでいますからこれを論理的に言えますが、心理療法の中に暴露療法というのがあります。PTSDの中にも複雑性PTSDというのがあって、言葉の通りちょっと考え方を角度を変えて。。ぐらいでは効き目が無いのであえて毒には毒を持って制すとでもいうのか?フラッシュバックに晒して慣らしていく療法。。勿論医師やカウンセラーと共に安全な環境のはなしですが。。麻布の医師はおそらく日本で一番私たちの被害の臨床例を持っている医師です。辛辣な言葉で患者を追い込むこともする医師です。

しかし、この映画の頃、暴露療法についての知識はありませんでした。

まぁ、本来、私のような被害者は改心しない親に近づいてはいけないんですがね。父の介護。

医師曰く、「あんたの場合は大丈夫だろう。傷ついても何か拾ってくるだろう。」と送り出してくれていました。介護中は薬をくれたけど、介護を止めたと言った途端、あんたには薬は必要ないとまだ苦しい状況なのにもっと苦しめという医師です。

さて。。この映画。。どの映画?って話もおいといて。。

この映画は父とは観たくなかったものの楽しみにしていました。私たちはサバイバーというレベルになってくると、この手の映画や書籍をあえて読んで何かをつかみ取ろうとします。段階的に出来ない人は観ません。最初は一人で観ました。一人で観れないから誰かいっしょにという人も観ていたけれど呼吸が苦しくなって観れなかった人もそれぞれ様々です。暴露療法的には私は父の介護で父によってフラッシュバックに晒され続けましたから冷静に見れました。父の介護で苦しくなり出して自助グループ参加も頻繁になっていたのですが、そんな仲間のうちの一人がこの映画が賞を取って今夜登壇するらしいからみんなで観に行かないかと声をかけてくれたのです。映画館を出た後、朝までやってる居酒屋で朝まで世間でタブー視されてる話題を声高らかに映画のお話と共に談義したのが今となっては懐かしく良い思い出です。。

映画監督と俳優さんたちが登壇されて質問タイムになりました。私は最初、手を挙げるつもりは無かったのです。

でも、最初に質問した若い男の子の質問があまりに下劣で、賞を取った俳優さんに失礼じゃないか?と怒りがわきました。特に内容を知っていた私たちはあのシーンは神聖なものだったのです。自助の代表はあの映画を観てグループのHPのトップページに赤い涙を垂らす動画を付け加えるほどでした。あれは私たちが何度も心から流した血の涙だねって内容を知っていた私たちは本編が始まるまで話していたんです。

下劣な質問と共に会場内が爆笑の渦になったことも許せませんでした。私たちの事を笑っているような気がした。そんな目に何度もあっていたから。。。で、気づいたら私は手を挙げ、当たってしまいました。もうそこから心臓はバクバクでした。ここには具体的な質問の言葉は避けて書きますが、私が被害者であることを名乗り、世間で言われているこのイメージをどう思うか?と言った内容で質問した途端。。会場内はお通夜のようにシーンと静まりました。本当は主役の俳優さんの表情が私の父と重なるほど狂気の表情をなさっていて、そのことも盛り込みたかったのですがうまく入れ込むことができませんでした。監督さんは涙目で家に持ち帰って考えますだったかな。。で出演者にはマイクは周りませんでした。皆さんにおうかがいしたのですけれど。。次の質問にうつり、俳優さんにマイクが回っていったとき、一人がさっきの方へのお答えですが。。と語ってくださいました。しかし、自分の映画に対する向き合い方とフラッシュバックさせて申し訳ないでした。。

う~~ん違う。。思い込みでこういった映画を作るなという抗議のようにうけとられたんでしょうね。。私たちはフラッシュバックするために観に来たんですともう一度質問の趣旨を返したかったけれどもう、私の手にマイクはありませんでした。

 

2ちゃんねるではミソクソでしたね。。

「くそばばぁ何十年前の話だ。」とか。。「ヤラセ」だとか。。私の体形だとか。。

マスコミは無視するだろうと予測していました。ところが一社だけ取り上げてくれた。。内容はちょっとちがうんだけれど。。それでも嬉しかった。

ず~~っと何十年も世の中から無視され続けてきたのですから嘘つき呼ばわりされた事。。傷に塩を塗られるような思いは何度もしましたから神も仏も無いって二次被害は当たり前だったから。。

キモチワルイ話って?どうキモチワルイか経験があるのか?違いも分からずよく言えるよって心に鎧を付けて生きて来たんですもの。。この映画から12年。。何が変わったんだろう。。やはり私の苦労話はその仲間に入れてもらえないらしい。こんなに一生懸命生きているのにネガティブの部類に入れられて排除されるのはまだ変わっていない。