パートで働いている時の光景。 | 俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
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良く、

「もうやめる。」

「私、やめます。」と言っておきながらいつまでたってもやめず、労働条件をすこしづつ上げていきながら居座ってるオバちゃんを見かけます。

「やめる」という言葉を狂言として利用し条件闘争に使っているのです。

 

これは雇い主が何らかの理由でやめてほしくない時に効果があります。

やめてほしくない理由についてはこのような場合、おおむね人手不足。。

その本人の価値ではなく、人材についての環境。。の場合が大きい。

だから、

私が「やめる」という言葉を口にした際、必ずやめるのは条件闘争したくないからです。要は条件闘争にこのような言葉を利用するような本人に価値の無い行動をとりたくないからです。

 

引っ込みがつかないからとかそういった事ではない。

辞めたくないのにやめるとは決して言わないのです。。

 

立場を変えてこのことを考えてみます。

 

「よそへ行っても良い」

「やめてくれてもいい」

これも同じです。

本当にそう思っていないなら言ってはいけない言葉です。

何故なら相手を委縮させ、相手は黙るしかないと追い込まれる言葉です。

すなわち

相手が辞めたくない場合に効果があります。しかし、相手がやめようと決断すれば何の効果もありません。

 

もし、相手が委縮させられることに嫌悪を抱いていたとしたらその瞬間は見過ごせても数日。。数週間経てばたつほどにしこりとなって心に残る。。逃げ出さなくてはならないとも思うでしょう。おそらく個別性もあるでしょうが、お世話になっているとしてもそれらが全部吹っ飛んでしまうほどの威力のあることばです。

 

口が滑る事もあるでしょう。。そんなつもりではなかったという事もあるでしょう。

でも一旦発っせられた言葉は中々消えませんよね。

 

なんて。。

まぁ。。

思いつくままのひとりごと。。。