夢に出た父。。 | 俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
リンクフリーではありません。出典も転載も不可。

今週初め父が夢に出てきました。

その前に。。父はタバコが嫌いで且つ、私が煙草を吸う事が許せなかったようですが。。今はね。。違いますといいたいところですが、昨年からやめてたんです。で、入院2か月後。。何故かその前からやめられていたのに復活しちゃいましたが。。

ということで、父の介護中ハワイに行ったときはやめていませんでした。しかし世の中禁煙ムードですから父の前では吸わないようにしていたんですけれどね。。

ある夜。。物音で目が覚めたら父が私のカバンを物色しているのです。。

翌朝、ウォーキングに出かけて喫煙ポイントに到着すると、

無い!。。鞄のどこにも無いのです。。

「やられた~~」と思いました。

高校生じゃないんだから全くやめてほしい!と思いましたが。そっちがその気なら。。。と。。。

実は父は認知症になって大きい方のトイレの際、ハワイではバスタオルで拭いてしまうのですよ。。壁やバスタブにも擦り付けたような跡が!勿論私はお掃除しまくりましたが、とても風呂に入る気になれず、到着翌日には風呂に入るためだけのもう一部屋をキープしまして。。

朝、ウォーキングと言って上の階の部屋で風呂に入り、そのままだとまずいのでわざわざウォーキングをして汗をかいて戻り、風呂の掃除をして風呂に入った風を装ってやりすごしていたのですが。。当然買った煙草を風呂の部屋の方において次の晩何食わぬ顔をして寝ているふりをしていたら。。やはり私のカバンを物色して。。「無いな~~」とか「どこだ??」とかいってるじゃありませんか!まぁ、そのくらいタバコが嫌いな人だったのですが、

夢の中の父は違って煙草をプカプカふかしながら、踊ってるんですよ。そして足が。。足が痛い。。というではありませんか。

足が痛いんなら踊らなければいいじゃないというと。。

「踊りは仕事!」「足が痛い!」と叫んで踊っているのです。

目が覚めて。。

もしかして私の代弁?そんな気がしました。

でも、今週前半は私の足。。痛くなかったんですよ。

ところが、この夢を見て2日後の木曜夜、骨折した右足ではなく、左足が異常に痛くなり、ちょっと歩くのもしんどいくらいの痛みで。。明日は仕事。。しかも仕事の内容や待ち合わせの連絡は前日ギリギリで。。内容知ったとたんに痛み発生!でした。何もこんな時に!と思うと憂鬱になると同時に、、

夢の事を思い出し、まぁ。。ここにはちょっと書きずらいのですが、、今までの父が絡む夢も含めて。。現実では私の足に異変が起きる度に父が絡んでいること。。

そしてまだ書いていませんが、今回の骨折も私のアディクションが絡んでおり、アディクションと言えば父。。大いに原因でもあるので、、まぁ精神面での生きにくさではなく、体の方で。。寝ている時の私は私がコントロールできるはずもなく、それがでないように日常コントロールすると、ダイエットは出来ない。。となるわけで。。まぁそんなアディクションです。そして父が生きている頃から私に負荷をかけて真意をわかってくれ的な人でもあったことなど総括して考えた時。。
でもそれ以上に反対側の足は変形性の予備軍でもあります。。

モチベーションはだだ下がり。。

変形性膝関節症。右足の時と違って掌蹠膿疱症発症後ですから手術は出来ない筈なのです。今回の骨折で手術お断りになって予後に時間がかかってしまった事で手術できないんだという事を知ったのですが。。そうなると左足は手術しないで済むように温存しなくてはいけません。だったら痩せろよって話ですが。。今回骨折したのは遊行症なんてもう出ないかもしれないのに、軽くダイエットするくらいいいんじゃないか?と思って大学の試験後に始めた途端、遊行症が出て、1階の食べ物にたどり着く前に階段を転倒。。覚えてないんですよ。。私は寝てるんだから。。折れた痛さで目が覚めて、階段の下でへたり込んでいたんです。不幸中の幸いは頭を打っていなかったことでしょうね。入院中に出前自由だったのはそういった理由で食べたものを申告しながら痩せるのではなく、体重が増えなければ自由に!となりました。栄養士と院長の判断でした。入院中にさらに骨折は避けったかったのでしょうね。

 

因みにこの遊行症。。診断はついていません。

50歳の時、ある被害者の自助ミーティングなどで知ったのです。思い当たったのは20代の頃からの経験値。私の遊行症も被害の後遺症だったのかと。。この手のアディクション抱えてる被害者結構いますから。

私は医者にもかからず50代まで勝手に生きてしまったので既往歴にはありません。そして50代で大きくフラッシュバックして病院へ行きましたが、精神面での強さから診断名は尽きませんでした。あくまでもアディクションの範疇でした。それでもダイエットを実行出来ないのは歳とともに困ります。そこで、認知行動療法を研究している国立病院に行きたいと通っていた医師に相談しましたが、貴方の場合、あまり良い結果にはならないと言われた。けれどどうしても相談したくて、紹介状が無いがどうすれば診断をうけられるか?問いあわせたところ、電話でなら問診してくれるとのことで早速国立病院のの医師に相談しました、結果は。。医者にもかからず勝手に生きた人のエビデンスは無い。そんな経験を複雑にしていて生きられるはずがない。嘘を言わないでくれと言われてしまって、嘘をついていない私としては困ってしまったのですが、だから通いようもなく、診断名が付いていない。。すなわち既往歴にこの病名はないのです。治療がダメなら学習。。しかないです。心理学に興味を持った一因でもあります。

 

 

左足が右足をかばっている状況の中で移動介助が中心の事業所で社員に戻る道はもう無いな!と思いました。いや。頑張れば戻れます、勿論足が悲鳴をげれば無理です。無理なだけでなく、悲鳴をあげるれべるになればどんな仕事にもつけないでしょう。。だから、今は休む時だ。と思いました。私は少々痛くても我慢する性格だからです。移動介助が多い事業所で移動介助は出来ませんではね。。痛みがでているのは骨折の足ではないのです。手術しない限り完解は無い方の左足なのです。しかも右足で経験しているから症状の出始めはよくわかっています。

父が言いたいのは足を大事にしろということなのでは?と思います。まぁ、遊行症はあの人のせいでもありますが。。でもいい大人が親のせいには出来ないわね。。被害は一生続く。。魂の殺人?そうは思いたくないけれど、心を気丈に保っても体が言う事を聞かないなら、どうにもならない。。

なので一旦仕事はやめて、仕事探しのできる状態になった時、例えばもう一度骨折したとして仕事復帰しやすい内容のお仕事が豊富な事業所(移動介助中心ではない事業所)を探さなくてはいけないと思いました。あてもないけれど、どこかにあるかもしれない。。

そんな都合よく見つからないとは思いますが、。。大手少なくとも中堅以上の会社でないとそういった仕事が豊富とはいかないでしょう。。そうなると60歳過ぎた身としては狭き門なのです。ベテランでもないしね。。しかし一旦リセットして、まず、痛みの出ない体になってから仕切り直しにします。左足。。何とか痛くなりませんようにと願いながら。。ダイエットではなく、脚の筋肉補強。。そのように何度も考えて深層心理に届けと。。これはっダイエットではない。。筋肉増強だと刷り込みながら。。ジムに義務ではなく行きたいときに。。その日の心模様を気にしながら。。食べ物ではなく動きなのだから出ないでくれと願いながら。。