苗木城【美濃】本丸 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

本丸口門で二の丸から本丸へ。

入ると直ぐに、武器蔵(奥)と具足蔵(手前・余り写ってませんが)

具足蔵には旗も保管され「旗蔵」とも呼ばれていた。

振り返り、本丸北の石垣。
下に千石井戸。
上には小屋があった。

その南に天守台。

少し進んで振り返る。
手前が武器蔵で奥に具足蔵。

またヘアピンで北に登った所が玄関口門。

この日は工事で通行止めでした(# ̄З ̄)

天守台の

南へ。
右が天守台で、左の岩は馬洗岩。

攻められて水の手を切られた時、岩の上に馬を乗せて米で洗い、
水が豊富だと欺いたから名付けられたといわれます。
本丸の直ぐ下に千石井戸がありましたよね( ̄▽ ̄;)
そこの水脈も切られた?

隙間を抜けて反対側(東)から。
確かに馬が洗えるぐらいの大きさですが、大人しくしてた?
洗う方も命懸けだったり(^_^;)

天守台の東の巨石。
上に懸造りで千畳敷がありました。
そこまで広くないので願望の名?( ̄▽ ̄;)

上には南から。

登ります。

天守台の下で切り返し

登った所は台所。
玄関は北側なので、こちらは勝手口と言えるかな?
三河屋さんが注文聞きに来ます(笑)

台所の南の石垣。

台所の先の北に次の間。

右(東)のおじさんの前の案内。

東南に恵那山(一番高い山)

恵那山の向こうは長野県。
東山道は神坂峠(矢印)を越えて行く。
大変な難所だったので中山道は木曽川沿いになる。
今は神坂峠の下の恵那山トンネル(中央自動車道)で一気に行ける。

南に保古山(矢印)
手前(北)の中腹に千旦林城、向こうに阿木城と支城を経て、遠山氏の本拠の岩村城

ここまで来て城自体の案内が無かったので簡単に苗木城の歴史を。
分家の苗木遠山氏が築城(1530年)
苗木氏は桶狭間にも出陣。
信長の妹を娶ります。

武田の進攻で本家の岩村(信長の叔母)は裏切り(1573年)
苗木は攻められて落城(1574年)
長篠の戦い後、信忠(信長の嫡男)が奪還(1575年)

変後は家康に付き、秀吉に付いた森長可に攻められて落城(1583年)

関ヶ原で遠山氏が奪還(1600年)
苗木藩を立藩し、幕末まで続きます。

西に天守台。
展望台が懸造りの雰囲気が出てる(^^)

岩の柱穴を利用し、天守3階部分を想定復元。

北から(逆光で暗いな)

登って南西。
梁の上にも行ってみたい( *´艸)

西。奥の高い山が笠置山。
次の目的地は木曽川を下った兼山。

北西。
登城路が延び、足軽長屋
そして苗木の市街地。

下りて城址碑。
スマホの解像度では全て読み取れませんが、
中央の上に「織田右府(信長)」の文字が目立ちます(*´∀`)♪

北には居間があり、下の岩から懸造りだったのかと。

工事中で行けなかった玄関口門を進むとこの階段に。
架け替え工事中でした。

ここからはまだ下りられないので戻って、馬洗岩の西。

巨石の下に岩。
攻められた時に割って
巨石を落とします( `Д´)/
、、、様にも見える(笑)

南へ。
南西隅に笠置矢倉跡。

先端。

絵図では1層ですが、3階の掛屋造り。
笠置山が正面に見えるので「笠置矢倉」と呼ばれた。

笠置矢倉から天守。

見取図(左が北)

二の丸から帰ります。
上の木がある土盛りがある所の右に大門。
奥が三の丸で手前が二の丸。

三の丸の西の下。

進んで、行きにあった掘(ラジコンがあった所)
右に登って行くと風吹門。
真っ直ぐ戻って駐車場へ。

3月11日。

この後、中央自動車~東海環状自動車道で可児へ。
中津川ICにNEXCOの人が居て、
何だろう?と思ったら上り(長野・甲府方面)が通行止め(゚Д゚;)
事故?
下りじゃなくて良かった(^_^;)