佐屋宿【尾張】佐屋街道 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

今日は久々に稲沢の仕事。
朝に空き時間があったので、また寄り道( *´艸)

国道155号線沿いのコンビニで朝食食べて、明るくなるのを待って佐屋街道へ。
向かったのは佐屋宿(愛西市佐屋町)

先日美濃路との分岐に行ったので、そこから西(岩塚宿)に進みたかったのですが、
停められる所が無くて一気に終点に(^_^;)

東から入って直ぐに、くいな塚の道標。
向こうが西。

反対の東方向(神守宿方面)

くいな塚 是より南へ一丁(約109m)

狭い路地を進んで水鶏(くいな)塚。

入口左手に佐屋町時代の案内。
私は佐屋町の方がピンと来る( ̄▽ ̄;)
仕事で行ったのも稲沢市と言うより祖父江町だし(2005年編入)

右手に愛西市(2町2村の合併・2005年)の案内。
まだ馴染めない(^_^;)

「水鶏鳴くと人のいへばや佐屋泊」芭蕉翁
松尾芭蕉が伊賀に帰る途中、佐屋で詠んだと言われ(元禄七年・1694年)
その後同席した俳人達が建立(享保二十年・1735年)

街道に戻って西へ。

この辺りが本陣跡。
家紋がある立派なお宅は子孫じゃないかな?

信号の向こうは当時は佐屋川でした。

手前の道標「左 さや舟場道」
左(南)に行くと舟場。

奥の生垣。

きこく(枳穀)の生垣で「尾張名所図会」にも描かれてる。

左の舟場に行く前に向かい(北)に佐屋代官所跡。

ポケットパーク内に佐屋代官所址碑と

案内碑。
家康が大坂夏の陣にここから船出(慶長二十年・1615年)
徳川吉祥の地とされ、
尾張藩祖義直が佐屋街道・佐屋宿・佐屋湊・佐屋御殿を開設(寛永十一年・1634年)
川の向こうは伊勢国となるので船番所を設置(承応二年・1653年)
奉行所に代わり代官所を設置(天明元年・1781年)御殿を引き継いだと言われる。

北隣に加藤高明内閣総理大臣の碑。

加藤高明は佐屋の下級藩士服部家で生まれ、加藤家の養子に。
第24代内閣総理大臣になります(大正十三年・1924年)
普通選挙法・治安維持法を成立させてます。
左の懐恩碑は故郷を懐かみ、感謝の意を込めて揮毫したもの。

愛知出身の総理はあと海部俊樹(76・77代)

更に北に見学者用駐車場があり(向こう(南)に懐恩碑・普通車なら行けた(^_^;))

案内。

南に戻って代官所址の斜向かいの公園の隅に

東海道・佐屋路 佐屋三里之渡趾碑。
川が無いと実感が無い( ´Д`)
佐屋川は徐々に浅くなり廃川(明治三十二年・1899年)

駐車場の案内より。
三里(約12km)輪中地帯を下って桑名へ。
宮の渡しからの海路の七里を避けたバイパスになり、
西国大名の殆どがこちらを使ったそうです。

南に向かい阿弥陀寺、、、の裏(^^;
ここの北(左)辺りが加藤高明の生誕地。

表も行きに寄ってます(^^;

佐屋街道を西に直進すると国道155号線・佐屋の交差点。
2月15日。

コンビニに戻る途中。
今は船に乗らずとも、
立田大橋・長良川大橋・油島大橋で木曽三川を渡って桑名へ。
桑名でも旧多度町ですけどね(^_^;)


次回は佐屋街道の途中に行きたいと思います。