合歓木城【三河】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

岡崎市合歓木(ねむのき・読めます?(^^;)町に


神明社。

ここが城跡ではなく神明社の北東と言われます。


畑は堀跡で、高くなってる住宅地が城跡と考えられます。
向こうの高架は東海道新幹線。


松平六代・信忠が隠居されられ、
長男清康が七代と安祥城を、
次男信孝が合歓木を、
三男康孝が三ツ木を継ぎます(1523年)。

清康は守山崩れで亡くなり、
三河へ押し寄せた織田信秀を信孝・康孝兄弟が撃退(1535年)。

八代・広忠は信定(信忠の弟)に追放されますが信孝の支援もあり岡崎に帰還。
信孝は後見役となります(1540年頃)。

康孝が亡くなる(1542年)と信孝は三ツ木を横領して移動。

その後、合歓木城は松平金之助(誰?)の居城になります。

☆数基の墓と共に石碑☆

城址碑ではなく、合歓木城主だった若狭守正道(誰?)の末裔の功績碑。



☆が功績碑。
西に神明社で東が城跡と言われる所。
車は神明社の西の入口のちょっとした空地に停めました。
○2月10日訪問○

次は信孝が移った城へ。