刀根坂の戦い【近江~越前】 | 第六天魔王の天下統一記

第六天魔王の天下統一記

第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

24日に越前に行って来ました(* ̄∇ ̄)ノ
テーマはズバリ朝倉討伐ι(`ロ´)ノ
まだ退いても、姉川でも戦ってもませんが、
スタンプラリーついでです(^^;

米原JCTから北陸自動車道へ。
直ぐの神田PAに寄り(後日まとめて更新)、
木ノ本ICで下りて国道365号線を北上。

(福井からの仕事帰りに、小谷に行きたくて南下した事があります(^^)
通過しただけですが(^^;)

途中脇道に入って

柳ヶ瀬。
北国街道の分岐点です。
(二股が分かる様に写せば良かったな)

右(写真下)に行くと国道365号線(北国街道)で、
左(写真上)に行くと刀根坂を登り、峠を越えて北陸道に合流します。

二股の間に案内板。

信長が小谷城を包囲した時に朝倉義景は救援に来ます。
しかし、寝返りや陣城を落とされ義景は撤退。

真っ直ぐ北国街道を行けば本拠の一乗谷への最短ルートですが、
自軍の城がある敦賀方面への刀根坂へと進みます。

信長はこれを読み追撃。
朝倉本隊をほぼ壊滅させたのが刀根坂の戦いです(1573年)。


では私も追撃をι(`ロ´)ノ


一気に峠へ( ̄▽ ̄;)笑

実はトンネル通って、反対側から林道を登れば峠の下まで車で行けます(^^;


トンネルは信号で片側交互通行。
(写真は敦賀側。トンネルで国境越え)

落石や木がコロコロしてる林道を登って行くと突き当たりに数台の駐車スペースがあり

仮設ですがトイレもあります。
右のボックスには玄蕃尾城の案内紙(城については後程)。

親切に杖が置いてあるので、お借りして

熊が出るそうなので慎重に…
鈴は車内に忘れた( ̄▽ ̄;)

息切れしながら(熊が出たら逃げる事も出来ません)登ったのが先程の久々坂峠です。

こんなんじゃ朝倉に逃げられますが、
先周り出来ました(^^;


こちらを下ると柳ヶ瀬に戻れます。
こっちは草深いです。
本来なら向こうから追撃なんですけどね(^^;

そして峠から更に登ると

玄蕃尾城へ行きます(* ̄∇ ̄)ノ

玄蕃尾城は変後に柴田勝家が国境に築いた城で、
秀吉との賤ヶ岳の戦いでは本陣が置かれます(1583年)。

ここ、写真で見ましたが凄く綺麗に整備されてて遺構も分かりやすいです。
信長の死後になりますが、賤ヶ岳関連も行きたい所。

誰か行かれる人が居ましたら是非誘って下さい(^人^)
置いてかれて結局一人になったりして…( ̄▽ ̄;)

他の城に御一緒出来る方も絶賛募集中です(^^)
(当面の目的は美濃・伊勢・近江…その他遠方でも信長関連なら飛んでいきます(* ̄∇ ̄)ノ
地元尾張の案内も喜んで♪)


話を10年戻して…

林道を下って県道140号線を西へ。
北陸自動車道の間や北へ南を通ってるのでナビは高速を指示し「ルートからハズレました」を連発…
いや、あなたの位置確認がハズレてるんですが( ̄▽ ̄;)

国道8号線に合流して疋田の交差点の手前の道路沿い(北)にヒッソリと

刀根坂で討死した朝倉勢の「戦国武将の墓」。
(車は南側に停めれます。交通量は多いので横断注意)

墓は崩れてるし

案内板も倒れて錆び錆び。

討死した主な武将の名前が載ってますが良く見えません(^^;

私が知ってたのは山崎吉家、河合吉統。
そして斎藤龍興(道三の孫)も居ました…こんな所に居たのね( ̄▽ ̄;)

龍興は稲葉山城を落とされると長島に逃れ(1567年)、
三好や一向一揆に加わり信長に抵抗。
最後は朝倉の所に。

義景には手勢しか残らず、一乗谷に帰還。


それにしても酷い。
兜が被せられてのは珍しいですよね。
花も供えられてる形跡は無し。
国道で分断された立地でしょうか?

直してあげたかったのですが、勝手に触るのも良くないと思いそのまま。
管理者が居るのなら直してあげてほしいです。
(居ないからかな?)


次は義景が向かってた城へ…
ここまで行ったら近所なんですが(^^;
続く。