鳴海城【尾張】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

先日直前で電池が切れた鳴海城に、
通り道だったので行きました(* ̄∇ ̄)ノ

今日はそんなに歩かない予定なので、久々に嫁も出陣(^^;

名鉄名古屋本線鳴海駅(緑区)の少し北に

鳴海城の鎮守として祀られた天神社。

階段を登って正面に

鳴海城趾碑。

更に奥にも

城趾碑と案内板。


信秀(信長の父)の配下山口教継が守ってましたが、信長が跡を継ぐと見限って今川方へ(1551年)。

その後教吉(教継の子)が任され、信長が攻めて城の北方の赤塚で激突するも引き分け(赤塚の戦い・1553年)。

しかし、教継父子は義元により切腹させられ(信長の計略とも言われる)、代わりに義元譜代の岡部元信が守ります(駄目じゃん( ̄▽ ̄;))。


お参りして、本丸があった西へ。


天守があります(* ̄∇ ̄)ノ笑
意識したコミュニティセンターです(^^;


更に西に鳴海城跡公園。


本丸には富士山があります(* ̄∇ ̄)ノ笑


南側は崖に。そして川になります。

西側は当時は海。

譜代の元信が入った鳴海城に対して、
北に丹下砦、東に善照寺砦、南東に中島砦を築き(1559年)、

義元の西進時は三砦を廻って桶狭間へ向かいます(1560年)。

義元の首級と交換条件で開城し、佐久間信盛父子が城主になります。

天正末期(1590年頃)には廃城。


公園北の東福院の門は廃材で造られたと言われます。


次は身内の城へ。
続く。