比良城【尾張】 | 第六天魔王の天下統一記

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第六天魔王(織田信長)になったつもりで史跡を中心に巡る小旅行記です( ̄∇ ̄*)ゞ

11日の続きです。

北へ500メートル程歩いて

光通寺へ。
蛇池で雨乞いした住職の寺です。

て、この為に行ったのではなく

比良城跡です。
塀の上に案内板が出てるから見上げてます(^^;

佐々成宗(成政の父)が築城(1532~1555年)。

佐々氏も元々は斯波氏(尾張守護)に仕えてました。

成政はここで誕生し(1536年、異説あり)信長に仕えます。

勝家に付いて北陸を攻め、越中を得て富山城を居城とします。

変後も勝家に付きますが、景勝が背後に居る為に賤ヶ岳には少数の援軍しか送れず、負けて降伏し越中は安堵(1583年)。

小牧・長久手時に再度敵対し、利家の末森城を攻めますが、信雄が和議を結び家康も撤退。
冬の立山を越えて(さらさら越え)家康達に再挙を説得するも不発(1584年)。


良い写真ではないですが4月でこんな感じ。
今でも冬季は通行止になったり。
真冬に越えるのは自殺行為( ̄▽ ̄;)

…と思ってましたが、最近上杉家臣の力を極秘に得て越後を抜けたとする書状が見付かってます(^^;

それにしても凄い執念です( ̄▽ ̄;)

孤立した成政は大軍に囲まれて降伏。
一郡以外は没シュート(・・;)
妻子と共に大坂に住まされ御伽衆となります(1585年)。

その後、九州攻めで活躍し肥後一国に復活(1587年)。

しかし、国人一揆の責めで切腹させられます(1588年)。
辞世「この頃の 厄妄想を 入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり」
(何度も書き…いや、成政に関しては何度か許されてますね(^^; 悪いのは愚息…('ε'*))


境内奥の佐々成政城址碑と慰霊碑。


この後北区にも行きたかったけど帰宅(^^;

11日はこれで終了。
明日は続いて名古屋市北部~北東部、市外へと行く予定です(* ̄∇ ̄)ノ