国道155線を南下して知立市へ。
雨は完全に止んで明るくなってきました(^^;
途中サガミでうどんを食べて、上重原町の公民館の裏に

重原城祉碑。

そして案内板。
ここは織田方・水野信元(家康の伯父)の今川・松平氏への備えの城でしたが、攻められて奪われます。
ここで一つ問題。
案内板には1554年に落城とありますけど、この城を拠点に資材を運んで(今は埋め立てられてますが当時は近くまで入江)築いた村木砦は1554年の1月に信長の攻撃により落ちてます。
村木砦がある東浦町の資料では、重原城落城は1552年で村木砦が築かれたのは1553年です。
数日で砦を築くのも、重原を落とす前に築くのも考えにくいので、私は東浦町の方が無理が無い流れだと思います(^^)
更に1554年に村木砦の勝利の勢いで重原城を奪い返すけど、直ぐにまた奪われたと考えれば知立市の説明も立てる事が出来ますね(^^;
細かい年は置いといて、今の重原城。

公民館の駐車場東の藪に堀と土塁が残ってます。

裏に廻ると土塁。

堀はアチコチ覗いてみましたが、良く分かりませんでした(^^;
土塁がある裏側は畑でしたから入りにくかったし( ̄0 ̄;)
次は、ここから資材が運ばれた村木砦方面へ。
海は無いので県道で(笑)
途中の刈谷市内の信号待ちで嫁が「あれは何?」

「かつなりくん?あぁ、水野勝成ね♪」
初代刈谷藩主で水野信元の甥(家康の従兄弟)になります。

去年行った刈谷城址。
今年度から刈谷市のマスコットキャラクターになったみたいですね(^^)
このかつなりくんは刈谷築城(勝成の祖父の忠政築いた時は今川方。信元の代で信長方に)の1533年生まれの設定ですが、勝成は1564年…信長と家康の同盟(1562年)後に生まれてます。
もう一つ後から気付いたのですが、かつなりくんの旗の向こうの「佐吉まん」。
これは勿論石田三成(幼名佐吉)ではなく、トヨタグループの創始者の豊田佐吉(自動織機の試験工場を刈谷に建てた)からですね(* ̄∇ ̄)ノ
そんなこんなで次は東浦町です。
続く。
今日は繋がり悪くて、書くのにでら時間かかったι(`ロ´)ノ