私は自分のものさしで、長男は「強い子」で、長女は「弱い子」だと決めつけていた。 | 岡山市中区『心と繋がるセラピー』子育て相談、インナーチャイルド療法 / フリースクール『みんなの家』

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『みんなの家』が子どもさんにとって、家でもない学校でない第三の居場所として。
自分らしくいられる安心できる小さな社会として。
親御さんにとって、子どもさんとの関係の潤滑油として。
子育ての悩みを共有できる場所として。
そのような思いで立ち上げました。

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私は子どもらのそれぞれの特性を平等に

分け隔てなく受け入れるのではなくて、


私のものさしで、

外向的な長男は「強い子」で、

内向的な長女は「弱い子」だと決めつけて、


私の価値基準で

「メンタルが強い、弱い」「出来が良い、悪い」

「価値がある、ない」と無意識にジャッジしていました😥


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長男は、社交性があって、友達も多い。

物怖じせず、どんどん自分から社会に入っていこうとするタイプで、学校の先生からしっかりしていると言われる、いわゆる外向的な子。


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だから、私は長男のことを

「強い子」「一人で何でもできる子」「人の手本となる子」とジャッジしていて、


このようなタイプは

「人から評価される」「人よりも秀でている」「価値がある」と思っていたので、私は長男が外向的であることを誇らしく感じていました。


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外向的だからと言っても、メンタルが強いわけではなく、弱い面もあります。苦手なこともあります。


しかし私は長男のことを「強い子」「一人で何でもできる子」だと決めつけていたから、

きっと辛くても当時は弱音を吐けなかっただろうと思います。


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現に小学生までとっても「良い子」をやってくれていました。


本当は助けてほしいこともあっただろうけれど、

私が「弱いこと、できないこと」を許さないから、


「きっとお母さんは僕がしっかりしていないと嫌がるだろうな」と感じて、


長男は私の期待に応えるために、一生懸命頑張っていたんだと思います。


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自分を抑圧して「しっかり者」「良い子」をやってくれていた分、時に暴れて、手がつけれない状態になることもありました。


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それはまるで、

「何で僕のことを分かってくれないん!」

「何で助けてくれないん!!」

「何で妹は許されるのに、僕は甘えさせてくれないん!!」


このような思いを言葉にできないからこそ、

手がつけれない状態になるほど衝動的に暴れていたのだと思います。


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性格が真反対の長女は、

集団が苦手で、人見知りをする。

保育園の頃、発表会ではお遊戯には参加せず、終始棒立ちで、人前では発言ができない。

不安が強くて私と離れることができなかった、いわゆる内向的な子。


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診断を受けていないけれど、保育園の先生や小児科の医師に発達障害を指摘されたことがありました。


だから、私は長女のことを

「弱い子」「一人では何もできない子」「私が助けないとダメな子」と思い込んでいました。


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内向的だから、メンタルが弱いわけではなく、

ただ人前で喋るのが苦手でモジモジしてしまうだけで、何もできない子ではありません。


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しかし私からすると、


外向的な方が人から認められると思い込んでいるので、長女に「モジモジするんじゃない!」と、躾のつもりで言っていました。


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躾と思っているけれど、本当は評価されないと思い込んでいる内向的な態度を、私が見ていられなかっただけだと思います。


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内向的でモジモジしている姿を受け入れられなかったので、私は何度も長女を突き離すように、

「ちゃんと喋りなさい」「もっとしっかりしなさい」

と長女のあり方を否定する言葉ばかり言っていました。


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また「一人では何もできない子」と思い込んでいるから、本当は一人で大丈夫な場面にも関わらず、それを感覚的に理解することができなくて、「娘にはできるわけがない」と決めつけて、過剰に手出し口出ししていたように思います。


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長女からすれば、本当はできることでも

お母さんが「あんたにはできない」って言うから、自信が持てず、できない氣がしてくる。

やってみたくても、不安になってくる。


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お母さんが「弱い子」と言うから、ある意味お母さんの期待に応えるために、本当は大丈夫でも「弱い私」を演じるようになる。


このようなことも感じていたのではないかなと、思います。

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暴れん坊だった長男も、不安が強かった長女も
それが過剰に表面に出ていたのは、

母親である私が子どもの情緒を受け止めず、
抑圧したり、不安を煽ってしまっていたために、

母親である私との愛着関係がきちんと育めていなかったからのように感じます。

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不安な時、
母親に抱きしめてもらったら、子どもはぬくもりを感じて安心します。

何かに迷った時、
話しを聞いてもらったら、「私は大切にされている」と感じます。

辛い時、
お母さんがそばにいてくれて、「辛かったね」「大丈夫よ」と背中をさすってくれたら、何だか大丈夫な気がしてくるのです。

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しかし私の子どもたちの場合は、
お母さんといるから安心するのではなく、
お母さんといるから情緒が不安定になってしました😥

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これらの自分自身の反省から、

私は「どんな価値観を子どもに押し付けようとしているのか?」を振り返ると必要があると感じました。


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〜 読んでくださっている方へ 〜


きょうだい間で比較したり、ご自分の理想と比較して、この子は「メンタルが強い子、弱い子」「出来が良い子、悪い子」と親の価値基準でジャッジしていませんか??


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少しキツイ言い方になりますが、

そのジャッジは、親の思い込みという色眼鏡で見ている状態であって、目の前子どものありのままを、ちゃんと見ているわけではないんです。


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もしかすると
「こんな利己的な自分がいるなんて、、」と感じるかもしれませんが、

ぜひその自分を隠さないで。

「私は良かれと思っていたけれど、自分のエゴで関わっていたんだな」と、ただその事実を認めることが大切です。

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どんなことに価値があると思っていたり、良いことと思っていてるのか?

反対に、

どんなことに価値がない、ダメなことと感じているのか?


これらのご自身の固定概念(〜でなれけばならない)に気付くことが何より大切です。


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気付くことは大きな一歩であると、私は感じています。
まず気付かなければ、変わることはできないから🍀

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