色々話していたら
母は本当に
ずっと幸せだったんだなと思った。
子育て中も、子育てが終わった今も。
父も母も、もういつ死んでもいいと思ってるって。
2年後、2人とも退職する予定なんだけど
その後 富士山が見えるところか、沖縄に住みたいと言ってて(私たち家族がいるからではなく、沖縄が大好きなのです)
「でも、それが叶う前にある日死んだとしても
それはそれでいいんだー( ´ ▽ ` )」
って言ってた。
私が小さかった頃、
母に対するイメージは
「忙しそう」
お母さんかわいそう、まではいなかったけど、
幸せそうか大変そうかと言われれば、大変そうだったな。
当の本人は、
娘たちに怒ったり、ご飯作ったり(母の喜び)
家族旅行をしたり、温泉に行ったり、
地域のことや、職場のメンバーのお世話をしたり、
そんなことが全部ひっくるめて、幸せだったそうな。
その娘である私は
自分がいじめられてることを「勝手に」言えなくて
(言えば受け止めてもらえたのに)
お金がないらしいから、欲しいものは自分で買わなきゃって「勝手に」自分で買って
(大好きなチーズですら買って欲しいと言えず、おこずかいで買ってた)
高い服を買ったり外見にお金をかけることを言ってはならないと、「勝手に」決めて隠して
いい子で
迷惑かけず
我慢して
わかったフリして
母や姉たちに反抗せず
同じ種族ですよという顔をして生きて
(ほんとは全然違う)
地味に苦しくなって
好きなものとか
やりたいこととか
わからなくなって
その結果
心屋に出会った。笑笑
そしてこの前よりももっと楽しい人生と
こんな私を面白がってくれる仲間に出会えた❤︎
っていう素晴らしいシナリオが用意されていました。
私が幸せに生きていても
息子はその私を見て
いわゆる問題なく育つかと言えば
そんなことはなくて。
こんなに自由で楽しく生きてて
嬉し泣きを沢山してるのに
彼が20歳になったときに
「お母さんいつも泣いてたなあ。お母さんかわいそう。僕が生まれて来たからお母さんは…」
って思うかもしれない。
それは、息子の中にプログラミングされているもので
その過程を経て
また彼の人生の中で
素晴らしい経験をしていくんだと思う。
彼の人生を信じるって、
そういうことかもな、と思います。
メリークリスマス🎄🎁
なみぃ
キャンディを砕いてグラスに入れて炭酸水入れたら
可愛くて美味しかった。グラスはフランフラン。