カウンセリングって、結局、
何をやっているのかって、
あらためて考えてみると、
ただ、ひたすらに、
「受け入れていくこと」を、
対話を通じて、
やっているのかなと、思う。
だから、
「今の自分を変えたい」って人にとっては、
ある意味、
「最初に思ってたのと違う」ってことに、
なりかねない。
それじゃあ、全然ダメじゃん、
役に立たないじゃんって、
感じになるかと言うと、
まあ、
そうでもなく、
(だとしたら、カウンセリングの存在意味すら危うい)
カウンセリングの時間を通じて、
ちゃんと「腑に落ちた」って感じになるから、
不思議と言えば、不思議な話。
「自分を変えたい」って思うこと自体は、
まったく悪いことだとは思わない。
自分の足らないところや、
まわりへの不満や、納得できないことを、
乗り越えて、成長して、
なりたい自分になることができれば、
誰だって、嬉しいし、
当然、達成感だってある。
ただ、そこに、ちゃんと、
安心感とか、
それこそ、自分の本心があるのかを、
心のどこかで、意識しておかないと、
より良い自分を目指すことが、
認めたくない自分の姿を、
根っこから否定してしまうことにも、
なりかねない。
かつての私が、そうだったし、
何なら、今でも、しょっちゅう、
「今のままじゃダメだ」に、
はまってしまうのだけれど。
「カウンセリングを受けること」や、
「心の学びをすること」で、
どうにもならない、
受け入れられない、
見たくもない、
そんな自分を、
「何とかして変えたい」と切望してみても、
どうも、それが、うまくいかないことがある。
っていうか、
なぜだか、確実に、
行き詰まる時がきてしまう。
自分のいたらないところ「問題」を見つけて、
受け入れられない(たくない)「問題」に取り組み、
「問題」を解決した自分になっていく・・・
その過程は、
とても、とても大事に、見える。
まるで、そうしていないと、
怠惰で、不真面目な生き方をしているように、
思えてしまうぐらいに。
ただ、その、
より良い自分を目指すことが、
成長して立派な自分になろうとすることが、
「そうではない」自分から、逃れるための、
回避行動になっているのなら、
安心感や心の平安からは、
どうしても離れてしまうと思う。
だって、それは結局、
「自己否定」だから。
無意識に自分を否定しながら、
問題を見つけて、それに取り組むことは、
何かを目指して、
何かを生み出しているようだけど、
本当に、そうなのだろうか。
本当の気持ちは、どうなのだろうか。
本当にしたいことは、そこにあるのだろうか。
見たくもない自分も、
まわりから受け入れられない自分も、
何とかして変えようとするのではなくて、
自分を、
それこそ「ありのままの自分」を受け入れてしまって、
その上で、
「そんな自分を、どう活かしていくか」に意識を向ければ、
良いのではないか。
今の現状に納得できないのは、
今の自分を受け入れられないのは、
自分に足らない何かがあるのではなく、
自分の中に見えていない何かがあるからだと思う。
「ある」のに見えていないこと、
「ある」のに気づいていないこと、
「ある」のに受け入れていないこと、
それこそが、実は、可能性だと思うし、
そう捉えられたら、
「すでに、自分の中にすべてある」っていう話も、
納得できる。
自分に足らないものがある。のではなく、
自分のことなのに、
わかっていなくて、
受け入れられていないことがある。
だから、そこから、
受け入れてない自分がいるから、
不満やら、
納得できない感じやら、
不安や怖れまで、生み出してしまうとしたら、
問題や、悩みや、
受け入れられない出来事や、
見たくもない自分の姿や、
それら目障りなものですら、
「自分が本当は何を望んでいるのか」
心の奥にある消えない願いを思い出すために、
目の前に現れるのかもしれない。
今の自分も、
これまでの自分も、
本当の意味で理解して、
受け入れていくことができたとき、
自分の内側に、
ずっと、あった、「願い」とともに、
本来の自分の姿を思い出せるのだと思う。
岩佐利彦