「ローマ人の物語 27,28 すべての道はローマに通ず 上・下」 | Jiro's memorandum

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「ローマ人の物語 27,28 すべての道はローマに通ず 上・下」(塩野七生)

 

「ローマ人の物語」も文庫本43巻中28巻までたどり着いた。これまで、塩野七生氏は、ことあるごとにローマ街道を高評価しており、「当時の高速道路」とか「ローマ軍はつるはしで勝つ」という表現を幾度となく目にしてきた。しかし、ローマ帝国のインフラに焦点を絞った今回の27,28巻を読んでの感想は “ローマ帝国のインフラは想像してた以上にすごい!(本当のすごさを理解していなかった!)” という感じだ。

 

ローマ帝国。読めば読むほど、面白い。知れば知るほど、すごい。2000年も前の時代なのに。

 


さて、次巻の「ローマ人の物語29」は"終わりの始まり"。ローマ帝国に忍び寄る盛者必衰の理。どんな教訓を学ぶのか、興味は尽きない。

 

 

 

以下、備忘

 

ローマ人が築きあげたインフラストラクチャー、ローマ人自身の言葉を使えば「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」

 

 

■街道


同時代の支那人のように、山を越え谷をはい上ってはつづく長い防壁を築くのではなく、その十倍、いや二十倍の長さになろうとも道路を通すほうを選択したのがローマ人だが、彼らは、道路とは、国家にとっての動脈である、と考えていたように思われる。だからこそ、一本や二本の街道を通したぐらいでは充分と思えず、街道網を張りめぐらせていったのではないか。血管の中を通って身体のすみずみにまで血液が送られてこそ人間は生きていけるのだから、国家が健康に生きていくにも、血管網は不可欠である。


利用目的その1 軍団の敏速な移動

ローマは制覇した地に占領軍を常駐させず(勝者の常駐は敗者との間に摩擦を産みかねないから)、代わりに、何かことが起れば基地から移動させるやり方をとっていた。

重い兵器も効率的に運搬できるよう、可能なかぎり平坦に、直線に、そして風が運んでくる土さえも溜まること不可能というほどにすき間なく敷きつめた石で舗装。

「ローマ軍は兵站(ロジスティクス)で勝つ」


利用目的その2 一般の人々と物の交流

ローマ街道の特色の一つは、町の中央を通り抜けていく点。町の周囲をめぐる環状線は、ローマ人の考えにはない。町の中央を通すことによって、ローマ軍団だけでなく町の住民がローマ街道を活用することも街道敷設の目的の一つ。

それまでの道ならば、雨でも降れば泥に足がとられ、荷車の轍(わだち)が泥沼にはまりこむ状態は常のことだったが、ローマ街道ではその心配はない。平坦に、しかも舗装されているので、人々の往来も容易になり、時間も短縮でき、荷車にも荷をより多く積める。つまり、交通の回数も一回当たりの運搬量も増えた。人と物産の流通増大で自給自足の生活は過去のものとなった。周辺住民の生活水準は向上し、経済は活性化した。


利用目的その3 郵便を運ぶ

現代とは違って一瞬で情報が届く時代ではなかったが、情報伝達制度の確立の重要性は知っていた。

皇帝も、情報の伝達さえ保証されれば、どこに居ようと統治は可能だ。帝国の辺境であろうと、そこに書簡を送るだけで統治できる(アリスティデス)



「ピラミッドは、無用で馬鹿げた権力の誇示にすぎない」(大プリニウス)
「ギリシアの美術品の素晴らしさは有名だが、人々の日常生活への有効性ならば皆無、とするしかない」(フロンティヌス)



街道を敷設した皇帝には凱旋門を贈って感謝の意を表すのが習いになっていたが、その凱旋門には必ず、工事は第〇〇軍団の軍団兵たちによって成されたという文言が、はっきりと刻まれるのも常だった。こうして、ヨーロッパと中近東と北アフリカにまたがるローマ帝国の八万キロもの幹線は、そのほとんどすべてが軍団兵によって敷設されたのである。



■水道


アッピウスは、人や車が踏み固めてできた自然の道があったにかかわらずローマ式の人工の道を通した人だが、水も、自然に頼るだけでは不充分であり、人工による安定供給システムの確立が不可欠、とでも考えたのかもしれない。


街道と同じく水道も、中央政府ははじめから採算を度外視。ローマ街道を「公道」と呼んだのと同じで、ローマ水道も「公」のすべきことと考えていたからであろう。人間が人間らしい生活を送るための「モーレス・ネチェサーリエ」(必要な大事業)なのであった。


ローマ市内は紀元三世紀にアウレリアヌス帝が建てた城壁で守られていたが、水道橋はその城壁をまたいで市内に入っていた。蛮族が水道の坑道内を通って市内に侵入してくるのを怖れたベルサリウスは、ローマに入るすべての水道の水源地の水の取り入れ口を閉じさせるとともに、水道橋が市内に入ったところで坑道も、レンガとセメントを使って閉鎖させてしまった。ローマの水道は、これで死んだ。



■医療・教育


ローマの医療を革命的に変革したのはユリウス・カエサル。

多くの面で中央集権的な法律を通過させたカエサルだが、医療と教育に関しては国家がコントロールするやり方を採用していない。医療と教育を、「公」の担当分野とせず、「私」が活躍できる基盤づくりを整えた。具体的には、医師と教師にローマ市民権を与えた。条件はただ一つ、首都ローマで、医師は医療に、教師は教育に従事すること。

 

文明社会にとっては必要とわかっている医師や教師を集めるのに、聖職という概念を持ち出すことはしなかった。ローマで医療なり教育なりにたずさわるとトクですよ、という手段に訴えたのだ。(当時、ローマ市民権を得ると税金など様々優遇された)





キリスト教の支配が強化されるのと教育制度の公営化は、歩調をともにするように進んだ。教師になるには試験を受けるが、試されるのは知識や教え方の能力ではなく、キリスト教への信仰の有無。教材も、教会が認めた書物以外は使ってはならない。教え方にも、教会の眼は光っていた。教師は定給をもらう身になり、生徒たちの授業料も無料。医療制度も公営化されたが、教育制度も公営化されたのだ。不可思議にも、帝国の経済力が盛んであった時代には医療も教育も私営であったのに、経済力が衰えてしまった時代に公営化されたのである。ある一つの考え方で社会は統一さるべきと考える人々が権力を手中にするや考え実行するのは、教育と福祉を自分たちの考えに沿って組織し直すことである。ローマ帝国の国家宗教になって後のキリスト教会がしたことも、これであった。そしてその半世紀後、ローマ帝国は滅亡した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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